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第5話-2

 成雄はふさがった両手を使うのをあきらめて、強引に保健室のドアを足で開けた。智はぐったりとしてしまって呼びかけには答えない。  中に入ると誰もいなかった。ここに寝に来ている生徒以外誰も見たことがない。いったい教師は何をやっているんだと思いながら、智をそっとベッドへ寝かせた。いつもなら誰もいないことを喜んでいるはずだ。しかし今はそんな場合ではない。  誰か呼びに行こうとドアへ足を向けたが、人が歩いてくる気配を感じて、一番奥のベッドへカーテンを閉めて身を隠した。自分でもなぜそうしたのかわからない。何だか嫌な予感がしたのだ。  すぐにドアが開く音がする。誰か教師が戻ってきたのかとカーテンの隙間から覗くと、善也が中に入ってきた。何の迷いもなく智が寝ているベッドへと向かう。成雄はしばし混乱した頭を抱えた。彼は先程まで地面に寝転がっていたはずだ。なぜここに来た。とにかく音を立てないように、息を殺して様子をうかがう。 「ねえ」  善也の呼びかけに、ばさりと大きな音がした。どうも智が慌てて起き上がったようだ。自分の声には反応しなかったのに。 「あ……」  聞いたことのないようなか細い声。これが智の口から漏れたのだとは信じがたかった。 「本当に智くんは一人では何もできないね」  こちらも聞いたことのない善也の冷たい声。こいつ普通に話せたのか。いつもおどおどとして単語以外を発しているところをほとんど見たことがない。それに何だ。どうして善也が、まるで優位に立っているかのように言葉を放っているのだ。 「ご、ごめ……だって、成雄が……」  ほとんど泣きそうな声で智が答えた。  俺? 俺が何だ?  それに、どうして智はこんなに弱々しい声を出しているのだ。布がこすれる音しか聞こえてこないのがもどかしい。いっそこのまま出て行って姿をみせてやろうかと思った。 「でも、頑張ってたね。偉いよポチ」  ポチだと?  それは智がいつも善也に言っていた言葉だ。立場が逆転している。最近智の様子がおかしかったのはこのせいなのか。もしそうなのだとしたら、善也はとんでもない。何一つそんな素振りを見せなかった。成雄は気づかなかった自分に歯噛みする。 「ご褒美をあげるね」  なぜか成雄はぞくりとした。善也の底知れぬ歪んだ感情が立ち上ってきた気がしたのだ。善也などに怯えてしまった自分を恥じ、ぐっとカーテンを握った。出て行ってしまおう。そしてこんなおかしな状況から智を救うのだ。  と、静かだった智が妙に艶っぽい声を漏らしため息を吐いた。くぐもった声で唸っている様に聞こえる。まさか何かされているのかと少し開いたカーテンの隙間から中を覗いた。  唇を噛みしめて息を飲む。信じがたい光景が目の前に広がっていた。  善也と智が唇を重ね合わせ舌をからませている。漏れる声は痛みなどではなく快感から出ているものだと知って、成雄は善也を殴り殺したくなった。  あのクソ野郎。  ぎりと奥歯を噛むと、ちらりと善也がこちらに視線をやった気がした。智と唇を合わせたまま、勝ち誇ったように目を歪ませる。気がしたなんてものじゃない。気づいていながらわざとこんな光景を俺に見せているのだ。  すべての物を破壊したくなった。善也などぶち殺してやる。智だけを残して世界を滅ぼしてやりたい。今この瞬間にすべて終われ。  しかし何か起こるわけもない。散々、まるで恋人同士のようなキスを見せつけられ、善也はそのまま部屋を出て行った。智の小さな甘いため息が聞こえる。さっきお前は吐いていたんだぞ。俺の腕の中で。なのになぜ。なのになぜ。なぜその相手は俺じゃないんだ。  カーテンを引きちぎりそうになって、手を緩めた。  俺が何だって? 何を頑張っていたんだ? ご褒美だと?  嫌な考えが頭に浮かび、強く手のひらを握り締める。  もしかして、俺を避けるように善也がしむけたのか?  今日の智は異常だった。自分も強引だったことは認める。意地になっていた部分もあった。苛立ちだって感じた。それにしたって、あんなに露骨に避けられると誰でも気分が悪いだろう。そしてそれが善也の指示だったのだとしたら。怒りがわきすぎて頭が沸騰しそうだ。智はいったいどうしてしまったんだろう。なぜあんな奴の言うことに素直に従っているんだ。時間をかけて手に入れようとしていたのに、横から掠め取られた。智を支配しているものが恐怖なのであれば、俺は別の方法で。  頭をかきむしりながら考え込んでいた成雄はふと気が付いた。  俺ここからどうやって出ればいいんだ。  音を立てられないので、成雄は直立したまま途方に暮れた。

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