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† エピローグ † ②
*
その部屋に足を踏み入れて先へと進むなり、何処かから聞こえてくる音楽がドビュッシーの《月光》からチャイコフスキーの《花のワルツ》のリズムへと変わったことに不安を感じてしまう。
不安を感じた理由は、何故かは分からない。
その部屋は壁がひび割れている古めかしい廃墟には似つかわしくないくらいに、一面が色とりどりの花で埋め尽くされていた。
花は枯れていないことから、本当は誰かがこの廃墟に住んでいて世話でもしているのかな、と思いかけた時___月明かりに照らされる人物の後ろ姿が目に入った。
花に囲まれた部屋の中央辺りでピタリと足を止める。
その人物の手には、夜空に浮かぶ月みたいな黄金色のじょうろを持っているのが見える。
その人物がこちらの気配に気付いて振り向こうとした瞬間___だった。
つい先程まで、心地よいリズムを刻んでいた《花のワルツ》の音楽が――途端にけたたましい騒音へと変わっていく。
甲高いその音は、まるで――かつて悪戯好きの友達が黒板に爪を立てて不快や音をたてていた時みたいだった。
けたたましい音楽のせいで、ろくに立っていられなくなった。そのため、咄嗟に両耳を塞ぐとそれと同時にギュッと目を閉じる。
【___タ……シ……シ、タ…………】
「____えっ…………!?」
《花のワルツ》の音楽はピタリと止まり、じょうろを持っている人物の方向から蚊の鳴くような声が聞こえてきたため、ふいに両耳から手を離すと目線をそちらへと向ける。
でも、そこには誰もいない____。
まるで、最初から誰もいなかったといわんばかりに辺りを静寂が包む。とりあえず、《友達》を探すために小型のライトを片手に先へと進もうと再び足を進もうとした時、足に何か固い物が当たったことに気付いた。
「……っ____!?」
手紙と幸せを運んでくれる《友達》はそこにいた____。
仰向けに倒れ、まるで眠っているかのような穏やかな顔をして、左胸にナイフが刺さった血まみれの姿となって。
でも、まだ____《友達》はいる。
早く、早く――探さなくちゃ。
*
中々、他の《友達》が見つからないことに対して不安になりながらも部屋の中をさ迷い続ける内に、《友達》ではないけれども大切な人を見つけた。
「____ど、どうして……っ……!?」
それは、《友達》のうちのひとりのママだった。まるで、童話の白雪姫のように、透明な正方形の棺の中で白い花に囲まれながら眠っている――ように見えたのだけれど、その口元からワインのように真っ赤な血を流し、すでに息絶えていた。
そして、その棺の周りには____。
《友達》ふたりが、寄り添いながら共に息絶えていた。
ひとりの《友達》は胸元にナイフが突き刺さり、側には真っ赤な薔薇の花が置かれてる。
もうひとりの《友達》は外傷はないままに穏やかな――満足そうな笑みを浮かべて息絶えていた。
その右手には、透明な硝子の瓶____。
その左手には、ベートーヴェンの《悲愴》という音楽を奏でる正方形の黒い箱____。
呆気にとられ、止めどなく溢れてくる涙を堪えようと苦戦していた時、異変に襲われた。
それは、自身に起こった異変というよりも周囲に対しての異変だった。
遠くの方から聞こえるパトカーのサイレン_____。
かけがえのない《友達》たちの無惨な姿____。
再び耳へと届いてくる黒い箱が奏でる物悲しい音楽____。
とにかく、全てを忘れたかった。
(これは……夢___目を開けたら……また、いつもの日々がやってくる……また、みんなと楽しい日々を……っ……)
そう念じながら、固く目を閉じると__そのまま花に埋め尽くされた地面に横たわり、意識を手放した。
*
『ダディ、大変……っ___この子、ぐったりしているわ……早く病院に連れて行ってあげて……っ……お願い……っ……!!』
『い、いや……それもそうなんだが……これは、いったい……』
『いいからっ……!!事件のお話は後にして……それに、この子が死んじゃったら……詳しいお話は聞けなくなっちゃうのよ……だから、お願い……っ……』
『わ、わかった……わかったよ__杏奈……』
そんなやり取りを、外からやってきた二人がしていたのなんて____
気を失っていた、ボクには分からなかったんだ。
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