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episode.1-16
「だから上着を着て来いとあれ程…」
「ごめんって…怒るなよ、こんなに冷えると思わなかったんだ」
湿度の無い風が髪を攫う。
寒波の威力に目を細めている間に、身体が不意に温かくなった。
自分を見て部下を見て。
其処でやっと上着を着せられた事に気が付いた。
「あ…」
肌触りの良い布地と。
今まで彼が纏っていた証の温もりと、彼の使う柔軟剤の匂いと。
サイズの合わない外套を纏い、告げる言葉も浮かばず困惑する。
襟元を引き寄せ、萱島は距離の開いた背中を只管に見詰める。
影が色濃くなる中、部下は我関せず先を進んでいた。
(また気を使わせた)
追従しながら萱島は暗い地面を睨んだ。
凍える寒気は消えたが。
代わりに、痺れる様な、むず痒い感覚に内から犯される。
階段を登り切って出現したテラスは、今季1番の冷え込みも相俟って寂しい様相だった。
手摺に身を預け、萱島は眼下に広がる光景を映した。
色彩の飛沫を飛ばした絵画の様だ。
青年の隣、白い息と共にその感想を吐き出す。
「…夜景だ」
戸和は驚いて上司を見やった。
この性格だから、もっと手放しに喜んで褒め称えるかと踏んでいたが。
「でも、うちから見た方が綺麗かな」
続けられた台詞に納得した。
社長の自宅は都内の高層階だ。
この程度の高さでは見劣る。
萱島は手摺に上体を預け、顔を伏せた。
寒い中そのまま微動だにしない背中、ゆらゆらと外套だけが靡いていた。
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