17 / 203

episode.1-16

「だから上着を着て来いとあれ程…」 「ごめんって…怒るなよ、こんなに冷えると思わなかったんだ」 湿度の無い風が髪を攫う。 寒波の威力に目を細めている間に、身体が不意に温かくなった。 自分を見て部下を見て。 其処でやっと上着を着せられた事に気が付いた。 「あ…」 肌触りの良い布地と。 今まで彼が纏っていた証の温もりと、彼の使う柔軟剤の匂いと。 サイズの合わない外套を纏い、告げる言葉も浮かばず困惑する。 襟元を引き寄せ、萱島は距離の開いた背中を只管に見詰める。 影が色濃くなる中、部下は我関せず先を進んでいた。 (また気を使わせた) 追従しながら萱島は暗い地面を睨んだ。 凍える寒気は消えたが。 代わりに、痺れる様な、むず痒い感覚に内から犯される。 階段を登り切って出現したテラスは、今季1番の冷え込みも相俟って寂しい様相だった。 手摺に身を預け、萱島は眼下に広がる光景を映した。 色彩の飛沫を飛ばした絵画の様だ。 青年の隣、白い息と共にその感想を吐き出す。 「…夜景だ」 戸和は驚いて上司を見やった。 この性格だから、もっと手放しに喜んで褒め称えるかと踏んでいたが。 「でも、うちから見た方が綺麗かな」 続けられた台詞に納得した。 社長の自宅は都内の高層階だ。 この程度の高さでは見劣る。 萱島は手摺に上体を預け、顔を伏せた。 寒い中そのまま微動だにしない背中、ゆらゆらと外套だけが靡いていた。

ともだちにシェアしよう!