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episode.1-17
「疲れましたか」
上着を貸したとは言え、風邪を引くのではないか。
戸和は薄い身体が気掛かりで声をかける。
「全然」
くぐもった音が返る。
もう夜景を見ようともしない。
「…帰りたくない」
繋げて上司は零した。
風に掻き消されそうな声をしかと耳にし、戸和は時計を見やった。
知らぬ間にそれなりの時が経っていた。
「冷えてきましたし、遅くなると社長に怒られますから…もう帰りましょう」
別に、また何時でも来られる。
子供に諭すのと同じ文句を付け足した。
目を開けて萱島は面を上げた。
簡素な灯り以外を省かれた闇に、いつも隣に居る部下が立っていた。
言う通りだ。
また何時でも来られる。
なのに今日が終わってしまう。それが勿体無くて、辛くて切なくて堪らない。
これ以上困らせたくはない。
明日今までの様に、おはようと言いたい。
なのにその感情と相反して、
目の前の青年の手を引いて、恥も外聞もなく抱き着いて好きだと白状してしまいたかった。
「そうだな…お前も風邪引いちゃうもんな」
結局胸中の全てを押し込め、萱島は安定を選んだ。
流れ去る時から、抵抗の様に掴んでいた手摺を離す。
ふと父親に愛を叫ぶ、少女の姿を思い出した。
いっそ本当の子供だったら。
何の躊躇もなく素直になれたのだろうか。
部下の姿に続き、今日最後の目的地を後にした。
ただ幾ら御託を並べた所で、今朝から渦巻く逡巡と照らした所で、導き出された事実は1つだけだった。
子供だったらなどと逃げた時点で。
自分がただの臆病者だという、その事実だけだった。
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