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episode.2-9
「…えっと」
海堂が口を開けっ放しに見上げる。
行き場なく、萱島はつい彼の袖口を握っていた。
「ごめん…さっき何か、俺に用事があったかと思うのですが」
「あ、いえ…そんな急用でも無いので」
落ち込んだ態度に海堂の方が面食らった。
目線が掴まれた袖口から、相手へと忙しなく行き来した。
「大丈夫ですよ」
上司は安堵してふわりと表情を緩めた。
可愛い。
その様を真顔で凝視する。
「…研修の件で」
「竜、これあげる」
目前に飴を差し出された。
砂糖を固めただけの、ただ甘い塊。
礼を言って手を伸ばす。
けれど彼の掌には2つ乗っていた。
「どっちが良い?」
「いえどちらでも…」
海堂は知っていた。
そのメーカーの飴は包む紙が違うだけで、中身にさして大差がない事を。
萱島は少し傷付いた色を浮かべた。
いつだって子供の様に純粋な彼は、結局自分で選んだ方を海堂に握らせた。
「…じゃあ、俺林檎が好きだから、林檎やるよ」
ほんの少しだけ微笑む。
その仕業に大いに困った。単なる砂糖が、海堂にとって宝石にも等しくなってしまった。
(どうしよう、いつもより余計に可愛いぞ)
ドキドキしながら早々と仕事の話に移る。
これは、痴漢に遭遇した訳では無さそうだった。
どちらかと言えば、まるでふわふわと地に足の付かない、恋煩いでも抱えているかの様な。
「…あーあ」
深く椅子に凭れ、萱島が意味の無い音を漏らす。
「宇宙行きたいなぁ、今直ぐ」
図らずも海堂の推論は的を射たが。
毫も脈絡のないぼやきに、部下は増々首を傾げるハメになった。
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