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episode.3-1 「St Valentine's」
「おお、びっくりした。どうやって入って来たの」
「…普通に、正面から」
書類の海を引っ掻き回していた男が、気配に弾かれた様に振り返った。
萱島は憮然と“GEST”と書かれたIDを掲げる。
逆光で目を細めて笑んだ。
誰が見ても人の良さそうなこの男、名を御坂と言う。
「もしかしてお見舞いに来てくれた?」
「すみませんその、急に来てしまって」
「気にしない気にしない、忙しい訳でも無いんだから」
床に零れた物を拾いながら、御坂はひらひらと手を振った。
萱島が今日此処に訪れたのは、本当にただの思いつきだった。
てっきりアポなしでは無理かと思ったが。
存外に知人だと言えばすんなり入れてしまった。
ロビーで異常に厳重なボディーチェックと、注意事項の説明で馬鹿みたいに時間を要したものの。
「今丁度検査の時間でごめんね、ちょっと未だ掛かるかな。お茶淹れようか」
「え、いえそんな…どうぞお気遣いなく」
辟易する。
正直、初見時は恐怖しか無かったが。
此方が何を言おうが、この研究者は達観した思考でふわりと躱す。
まるで綿飴の様に柔らかく、怒りの感情などはじめから存在しないのではと思わせる程に。
(叩いても響かない点では社長と似てるな)
そんな失礼な事を考えていた矢先、御坂が不意に声をあげた。
「そう言えば遥が来てたんだった」
「…はい?」
「最近偶にね、検閲通った物しか渡せないけど…お父さんの手記とか見に寄ってくれてね」
一瞬思考を読まれたのかと思った。
多分喫煙所のテラスに居るんじゃない?と続けられた情報に、目を瞬いた。
ここ最近、まともに話すら出来ていなかった。
萱島の脚は、自然と其方へと向かっていた。
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