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episode.3-15
何か先からキッチンで、換気扇の音がした。
そわそわ伺いながら、毎度居場所に困る人の家で途方に暮れる。
仕方なくリビングに向かい、ソファーの隅で肩身も狭く膝を抱える。
座り心地が素晴らしい。
加えて、今日帰る為に無茶した分の負債がまとめてやって来た。
(眠い)
ごろんと背凭れへ首を倒し、萱島は部屋の端に申し訳程度に置かれた観葉植物を見た。
此処で暮らしているのだ、彼は。
膝に顔を埋める。
不意に隣へと、誰かが腰を下ろす気配がした。
「眠いんですか」
否定しようと口を開いて、それよりも彼が手にしていたマグカップに興味を横取りされた。
「…ココアだ」
質問するよりも先に匂いで知れる。
瞳を輝かせた、嘘偽りない反応に戸和は心なしか目を細める。
「それくれるの?」
「どうぞ」
露骨に喜ぶのだ。こんな些少な事で。
両手でゆっくりと受け取るさまは、子供を見ている様な、そうでない様な。
車の音すら遮断された部屋、萱島がココアを冷ます微かな音だけが漂う。
そしていざ口にするや、猫みたくじっと固まる。
何かお気に召さなかったのだろうか。戸和は怪訝そうに首を傾けていた。
「…普通のじゃない」
「ん?」
まじまじと湯気の立つ、手中の液体を見詰める。
「スーパーで買える奴ですよ」
「嘘だ、高いチョコの味がする」
「リキュールは入れましたけど」
ココアに酒を入れるという発想がまるで無く、驚嘆しつつ黙って2口目を啜った。
優しい甘さに絡んで、深い香りと所謂、大人の味がした。
それが胃に落ちて温め、とろりと心を溶かす。
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