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episode.4-6
静かにブレなく走る車中、電子音がして徐ろに顔を上げた。
間もなく本郷が上着から携帯を取り出す。
ぼんやりと背後から覗いていた矢先、萱島は反射した彼の表情が変わる瞬間を見てしまった。
(…ん?)
「遥、停めろ。降りる」
神崎が一寸、訝しげに視線を上げる。
もう直に会社へ着くころだと言うのに。
仕方なく国道を抜けた後、高級車は路肩に滑り込んで沈黙した。
「…何だ、直ぐ追い付けよ」
「分かった」
ドアを開け、彼は乾いた寒空の下へと走り出した。
黒いスーツの後ろ姿が遠退く。
「急用か」
「そのようで」
萱島はシートに腕を回し覗き込んだ。
仕事を蹴ってゆくとは、余程の用事なのか。
2人未だその場に留まったまま、輪郭が背景に溶けるまで見送っていた。
「…千鶴さんだな」
沈黙を破ったのは神崎だった。
薄っすらと覚えのある名に、再び走り出した車に身を沈め首を傾ける。
「元妻だよ」
「…え、何で?」
今更。
図らずも眉間に皺が寄る。
触りを耳にしただけでも、彼女に対する心象はあまり良い物では無かった。
「さあな、俺はアイツの家庭に首を突っ込む気は無いし」
聞けばその崩壊の一端に関わっていたらしいが。
萱島は言葉を飲み込み、景色を追い始める。
事情は知らないが、何かまた、彼が周りの良いように流されない結末を願った。
「沙南」
ハンドルを切る社長に名を呼ばれた。
「アイツの幸せって何だと思う?」
少し意表を突かれた。
よもや神崎が、些少なりと他人に興味を抱いたのかと思った。
上手く答えようとして、しかし萱島は口籠もる。
単純に答えが浮かばなかったのだ。
「分かんないだろ」
神崎が笑った。
その台詞は萱島への同調を含んでいた。
分からないのだ。
10年近く隣に居ようと。
不意に悲しみを覚えて唇を噛む。
当人に聞けば、はぐらかすような常套句をくれそうで。
ともすれば彼の中にも、答えは無いのだろうか。
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