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episode.4-12

「落ち着けよ」 天気を告げるのと何ら変わらぬ声で言った。 「俺だって、悪いと思ってない訳じゃない」 みるみる萱島の手から力が抜けた。 神崎の目は、叱るでも諌めるでも無く、ただ自分を見ていた。 「その件は後だ、今は他にやる事がある」 「…彼をひとりにするべきじゃない」 「分かってる」 萱島の提言を、端から切り落とすでもなくやんわりと脇にやった。 「幾つか外せない商談がある、お前にも手を貸して欲しい」 「俺の仕事は?」 一端、視線を明後日の方向へと逃がす。 「…全部戸和に?」 「そうなる」 考えてみれば自分が来る以前はすべて、彼だけでこなしていたポストなのだ。 何と言って良いやら分からなかった。 ただ漠然と、もやもやとした感情が胸中に渦巻いていた。 「目先の事を解決しただけで…根本的な問題はそのままだ」 「それも分かってる」 この時神崎が冷静でなければ、更に取り乱していたかもしれない。 その態度が殊勝だったと気付くのは、暫くしてからの事だった。 「だがその元があるのは、アイツ自身だろう」 さらりと神崎が零したそれは膠も無い事実だ。 其処に感情論で、萱島は反論しかけた。 然れど仕方なく理性で引き止める。 もう間もなく、夜は明け幕間は終わろうとしているのだ。 「…帝都ホテル、34階」 普段の倍近い荷物を引き摺りながら、萱島は余り芳しくない表情でタクシーを降りた。 神崎の指示通り、本郷の携帯を手に“外せない商談”とやらを回る。 自分が赴いたところでどうだろう。 そもそも予定を見るだけで頭痛がした。 タクシーの中でさえ、必死に彼がこれまでクライアントと作った内容を頭に入れようと、息つく間も無かった。 「うーわ、気持ち悪…」 活字の地獄に目元を押さえる。 大体このスケジュール表、何処を注視しても食事の時間が見当たらないのだ。 (そりゃ毎日こんな生活だったら誰だって落ちる) 眉間に皺を寄せてホテルのロビーを潜った。 久方ぶりにこんな場所に来た。 昔黒川に連れられて、何度か会談の見張りを頼まれて以来だった。

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