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episode.4-18
既の所で沼の底に引きずり込まれた様な。
記憶を辿ろうとすると、気分が悪い。
(相模か)
目頭を押さえた。
そして、左手を引っ掛け身動ぎもせず眠る部下を見た。
「…萱島」
そっと肩を揺する。
案の定すっかり冷えきっていた。
「風邪引く…」
存外に彼は直ぐに目を覚ました。
眠り自体が異常に浅かったのかもしれない。
長い睫毛が震えて、夜店の飴玉の様にきらきらした瞳が現れた。
未だ朧気にも関わらず、視線は真っ直ぐに本郷を捉えている。
「…本郷さん…?」
「ん?」
感嘆するほど美しい。
宝石に人影が落ちる。
「本郷さん」
手を引かれた。
任せるままに身を屈めて、理由も分からず懸命に名前を呼ぶ相手を見詰めた。
「本郷さん、ねえ」
「どうした」
外気に晒された体が、腕を伸ばして此方に抱き着いた。
「…本」
初めてどうして良いか分からず、本郷は必死な彼の抱擁を受けていた。
「…何で、」
悲痛な声がつっかえた。
「何で黙って何処か行こうとしたの」
縋り付く小さな肩が冷たくて、呆然としながらも腕を回した。
シャツを握る力が強まった。
背中が僅かに震え始めたのを見て、泣いているのだと知った。
この部下は良く泣いた。
けれどその感情は虚心坦懐で、疑いようもなく真っ直ぐだった。
「萱島」
それが、今自分に向けられていた。
「…泣くなよ」
愚図る娘を宥めるのとまるで勝手が違う。
何せ、彼は他人の事で一杯になっているのだから。
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