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episode.4-21
「俺から特に言うことは無い、今後お前と話す事も会う事もない。養育費は今まで通り口座に落とす、美咲が手に負えないなら俺に引き渡せ。以上、じゃあな」
さっさと電話を切った。
何と。時間にして30秒も掛からぬ話だったのだ。
馬鹿馬鹿しい。
携帯を放り、大人しく座り込んでいる部下を見返した。
「……」
先までの勢いは何処に消えたのか。
反応のない唇をなぞる。
大仰に肩が揺れた。
相手は口吻られた事実すら、未だ処理できずに居るようだ。
「…なあ萱島」
俄に声が近付く。
潜められた低い音が、瞬く間に艶を帯びる。
萱島の頬が染まった。
きっとこの男は、こんな声で女性を口説くのだ。
「勿体無いよな」
脳裏へ、闇を背景に圧し掛かる相模が現れる。
長い指が頬の輪郭をゆっくりとなぞり、付随して解けるように記憶が蘇る。
伝導する体温が、彼に追い詰められた行為、情景が。
そうだ、思い出した。この手が自分の至る所を撫でていた、あの夜を。
「お前の、感触も覚えてないなんて」
隔たれていた2つの人格が重なり、かっと熱が湧き出した。
刹那、萱島は弾かれた様に立ち上がり、脇目も振らずその場から逃げ出していた。
「――…おう、何、走るなよ」
タイミングが良いのか悪いのか。帰宅していた社長と廊下でぶつかる。
怪訝な表情をされようが、受け答えする余裕は微塵も無かった。
「義世起きたか?」
「知らない、起きてる。馬鹿野郎」
支離滅裂で果ては暴言を足した。
何か切羽詰まった様相で、萱島は相手を押し退けて去ろうとした。
「お前…何処行くんだ、5時だぞ今」
「うるさい!死ね」
「死…」
罵声を浴びせて姿を消す部下を、神崎は唖然と見送る。
玄関の扉を押し開け、萱島は未だ薄暗い明け方に飛び出した。
どうして彼が、あんな顔で。あんな声で。
あれじゃあまるで。
(まるで…)
その先を考えようとして、脳が煙を上げた。
使い物にならない頭を携え何か訳も分からぬまま、然れど他に行く宛もなく。
結局いつもの顔ぶれを求め、萱島は気付けば周回するタクシーを追い掛けていた。
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社長かわいそう。
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