106 / 203
episode.5-17
「鳩部様、鍵ですか…?それは…」
言葉が出ない。
四肢をぶら下げて立ち尽くす鳩部を余所に、変わらず御坂は事実を告げる。
「貴方のお父さんに生前注文を頂きまして」
薄いレンズの奥で両目が弧を描いた。
「絶対に中身が風化しない、色褪せない、誰にも触れない箱」
「これは…」
鳩部がやっと絞り出す様に、掠れた声を紡いだ。
「私と弟が父にやった車の鍵です…初めて稼いだ金を、二人で出し合った…あの頃は未だ」
飾り気のないキーホルダーが繋がれた
特に変哲のない鍵を、血が止まるほど強く握り締めた。
「未だ私達は同じ屋根の下、同じ背中を追い掛けていた。そりゃあ、仲も良いなんてもんじゃあ無かったですが」
年老いた瞳の奥には、忘失していた遠い光景が戻っていた。
箱に仕舞われた遺産とは、今は亡き日々の思い出だけだったのだ。
「あの馬鹿が親孝行なんてしたのはそれっきりで、父は甚く感動したものです。そうですか…箱の中身が、そんな…」
「市場価値は無いでしょうね」
「ええ」
負債返済の道は断たれた。
それなのに経営者は何故か、憑き物が落ちたかの様にすっきりとした顔をしている。
「有り難う御座います、私は何か…父の事を勘違いしていた」
「気難しそうな人でしたからねえ。いつも眉間に皺寄せて」
「違いない」
ふっと初めて鳩部の表情が緩んだ。
「…弟は無事ですか?アイツはこれから私が折檻してやらないと」
「多分生きてますよ。すみません玄関をかなり汚しちゃいまして…うちの者に責任持って掃除させますので」
「……」
経営者はふと柵に手を掛け、現場を覗き込んだ。
開け放たれた正面口の外にも、転々と人間が転がっているのが見て取れた。
「…あれはその、し、死んでいるのですか?」
「生きている事は無いと思いますよ」
「い、いや…」
どうして平然と流せるのか。
鳩部は制止の台詞を挟もうとして、然れどその場面で漸く
漸く目前の男の異質さに気付いたのか、汗を伝わせて数歩退いていた。
ともだちにシェアしよう!