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extra.3-1 「コンビニ店員の恋2」
交代前の点検を迎え、エンゲルスに小銭を並べる。
どうでも良いが、この枚数を計る器具はエンゲルスという名称らしい。
「…早番遅くないですか?」
「さっき来てましたよ」
「え、な、私に挨拶もなく…」
先輩が神経質に眼鏡を押し上げる。
相手すら面倒な小林は、カウンターに隠れてひっそりと溜息を吐いた。
今日の相方は漫画家志望と謳う27歳の崖っぷち。
自分より年下で、かつ専門的な知識を有しているためか。どうも此方に対する勝手な嫉妬を抱いている。
ピロンピローン。
気怠く最後の1枚を乗せようとした。矢先、来客を告げる電子音が店内を揺らした。
「「…っしゃいませー」」
夜明けの挨拶は気怠い。
客は見覚えがあった。
毎度のことギターを担ぎ、ヘッドホンを首に掛け、ブラックの缶珈琲を手に真っ直ぐレジにやって来る。
「108円です」
同い年くらいだろうか。
以前聞いた所、素性は近隣の会社員との事だった。
「…へいへいへい小林ちゃん、良い物やるよ」
馴れ馴れしい。
彼は此方の肩を引き寄せ、声を潜めた。
「ある男の一生が掛かってるんだ」
「…え、何?」
「未だインディーズだけどさ、最高に良い音出すから。夕方は空いてんだろ?な、来てよ」
くしゃっと破顔し、ばしばしと不躾に背中を叩く。
押し付けられた紙片を手に途方に暮れた。
そもそも数える程度の接触で、しかも会話と言えば一方的に絡んでくる向こうの挨拶程度。
会社の近くのコンビニ店員をライブに誘える人間が、果たしてこの国に何人居るのだろう。
「いや…俺多分学校だし」
以前に音楽は余り興味がないし。
困惑する俺を余所に、彼は終始朗らかだった。
「大丈夫大丈夫、これも勉強だって。絵描いてんだろ?新しいインスピレーションあげるからさ」
「はあ…」
どうして其処まで後ろめたさもなく言い切れるのか。
底無しにポジティブな気質を晒す彼に、圧倒されてついチケットを受け取ってしまった。
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