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episode.6-19
踏み出す度に一歩下がる。
既視感のある光景だ。
今日もトン、と直ぐに背中が柱にぶつかった。
「そんなに嫌だったか」
180センチは数値より大きく見える。
頭上からの威圧も相俟り尚更だ。
黙って、やり過ごす術だけ考えながら、萱島は相変わらず斜め右下の木目を数えていた。
「沙南」
「……」
近い近い。
だんだん息苦しさを増す。
柔らかい諌める様な声を拾うだけで、押さえ付けた記憶が溢れ出しそうになる。
その手がどんなに優しくかつ性的に、熱を帯びていた事か。
「あ、」
不意に肩にそれが降りて来た。
昨日の熱は形を潜めていたが。
萱島の思考を断絶するには十分だった。
「…一蹴して於いてなんですが」
すっと軽く引き寄せられた。
彼の懐に飛び込む。
冬場の外気が消える。体温に包まれ、指先から瞳からぴくりとも動かなくなった。
「俺も余り仕事になる気がしない」
脳に直接響いた。どうしようもなく甘い、吐息に近い音だった。
眩暈がした。痺れて平衡感覚を失い、無心に目前のシャツを握った。
もう頭が駄目になった。
ずるいにも程があった。
「……」
熱が回り、浮かされて涙すら滲む。
腕の中で成す術もなくのぼせて俯く存在を、青年は昨日に等しく只管に眺めた。
「休んじゃいましょうか」
「……休まないよ」
情けない声がそれだけどうにか、一言返した。
本日の能率はお察しだ。
これから逐一隣の挙動が気になって、頭の悪い日々を過ごすのだ。
(これから?)
引っ掛かった。
考えてみれば端から、勝手に視線は彼を追い掛け回していた自覚があった。
何も変わってないじゃないか。
口を噤む。
怪訝な色の相手を余所に、萱島は成長しない自身を呪った。
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