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extra.4-1 「社長とおやすみ」
休みの日はいつも正午を跨いで目が覚めた。
それが何故だか今は明け方だった。
火事みたく照らす朝焼けを呆然と見詰める。
ほんの2、3時間、眠りに落ちただけでどうしてまた現実に戻されたのだろう。
「…あ」
キッチンから音がした。様な気がした。
朧げだった萱島の五感が覚醒した。
寝巻の軽装備のまま部屋を出る。
この時間に帰宅する人間は決まっていた。
「……」
予想通り。スーツの後ろ姿が突っ立って湯を沸かしていた。
広すぎる面積の端に、無造作に鞄が放り出されている。
貴重な光景を入口からじっと眺める。
纏わりつく視線を察したのか、神崎が振り向いた。
「なんだよ」
皺一つないスーツの通り、何時目にしても雇用主には僅かな隙も疲労も皆無だ。
「起こしたか?」
「…いいえ」
「用が無いならもう1回寝といで」
背面を向けたまま手で払われた。
珈琲の香りが心地良い音と共に、凍てついた部屋を満たし始める。
何だかすっかり目が冴えてしまった。
と言うよりも、構って欲しい病気が首を擡げた。
どうせ面倒だと邪険にされようが、萱島のこの癖は直る予兆もない。
「沙南ちゃん、邪魔」
抱きつくや露骨な文句が飛んで来る。
だが聞き分けの悪い子供だ。知った事か。
「…コーヒー」
「お前は寝られなくなるから別のにしなさい」
2月も終いだが、鉄筋の高層階は誇張でなく凍えた。
薄手の生地一枚の背中が震える。
神崎が手にしていた珈琲を置いた。
そして徐に上着を脱いで、目前の肩にそれを着せてやった。
「……」
温かい。
憮然と萱島は新車が買えそうなジャケットの襟を引き寄せた。
あしらう割に、そう言った配慮は利かせて来るから、余計に腑に落ちないのだ。
「寝られない」
「此処に居たら余計駄目だろ」
「眠くない」
「おやすみ」
再び珈琲を口にする雇用主を睨め付ける。
長年連れ添った友人曰く。この男は情動を持たない。
ただ経験からそれらをパターン化し、対処法をマニュアルにし、知識として収納している。
実体は無く、情報から模倣品を組み立てた、電子の世界に似ている。
けれど触れると温かい。
それが厄介だ。
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