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episode.7-3

「もう1人じゃないだろ」 明確に笑んだ。 キーを抜く姿を、まんじりともせず見た。 ひとつ返そうとしていたのだけれど、唇は引っ付いたままだ。 開け放たれた扉に、忘れていた外気の冷たさが吹き込んだ。 貴方も1人じゃないよ。 伝えたかった台詞が胸中を舞う。 居た所で何もならないが、離れる事が怖かった。 自分の分からぬ間に、彼方の楽園へ鳥の様に羽撃いて行きそうで。 新居は1LDKのマンションだ。 家賃は立地と築年の関係で少々高い。 ただ無論前と比べてうんと狭くなったし、景色もうんと低くなった。 エアコンは据え置きだから良いとして、全てが揃うにはもう暫し掛かる。 「じゃあな」 車載していた荷物を運び終え、本郷が別れを告げた。 少し風が出てきた。 上着の端を煽られ、寒さに身を竦めながら、それでも縫い留められた様にその場に突っ立っていた。 「どした」 首を傾ける。萱島が動かない。 伏せる目が泣きそうに歪んだのを見て、ドアに伸ばした手を引っ込めた。 「…何処も行かないでね」 風が吹き荒ぶ。冷たい外気に、部下は絞り出す様に口にした。 「電話もちゃんと出てね、週に3回」 「…多いな」 「あと偶にご飯を…作って下さい」 「俺で良ければ」 白い手が伸び、目前の外套を掴んだ。 大袈裟な。萱島自身分かっていたが、きっと恐らく、今までみたくは会えないのだ。 「何かあったら教えてね…」 最も伝えたい事は最後になった。 同じ世界を見ていた貴方だからこそ。 自分一人幸せに行き着くなど、土台不可能だった。 「…酷な奴だな」 返答の意味を理解しかねた。 彼は笑っている。つい魅入っていた矢先、引き寄せた腕に抱き締められた。 「もうお前に心配は掛けないよ」 台詞を飲み込む。 大きな手が背中を撫でた。 温かいのは嬉しいが、また誤魔化された心地がした。

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