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episode.7-8
「…牧君の彼女さん?」
「えっ、うそ陽くんのお知り合いなんですか?」
陽くん。
原因不明に耳が痒い。
「その…上司です」
「まあ本当に…重ね重ねすみません、綾瀬と申します」
「萱島です、いえお気になさらないで下さい」
「もしかしてタイミング悪い時に来ちゃったかな…出直した方が良さそうですね」
「あー…大丈夫です、自分も此処に越して来ただけなので」
「此処に…」
ぴたりと彼女の挙動が止まった。
矢張り理解し難いか。否、本当に邂逅 だ。運命の悪戯だ。
しかし成る程…会社の人間にこういったプライベートまで晒されては、確かに気の休まる間がない。
今少し、悪い事をしたと罪悪感が芽生えた。
「…お隣って事ですか?」
「ええ、さっき知りましたけど」
「ちょっと、それ…」
彼女の纏う空気が質を変えた。
両眼から光沢が失せてしまった。
何だ何だ。もしや結構面倒な束縛系で、謂れのないクレームでも吹っ掛けてくるおつもりか。
然れど警戒する萱島を他所に、彼女は奇妙な独り言を吐いた。
「来たわ。飯3杯余裕」
「飯…?」
「リアルな教典とかほんとやめて、つら…もう今貰っても入稿間に合わない」
肩が震えていた。訳は知らないが部下の彼女が内萎れていた。
出てこい牧。大変だ牧。
何かお前の彼女が半泣きになっているぞ。
「…あ、ほんとごめんなさい…滾ってて」
「滾ってたんですか」
「あの私、趣味で本出してて…大した物じゃないんですけど、良かったら萱島さんに色々お話伺いたいっていうか」
「俺ですか?や、全然…構いませんけど」
「本当ですか嬉しい…」
綾瀬女史が光悦と両手を組んだ。
涙目にも関わらず、瞳がきらりともしない。
ところで何の本でしょうか。尋ねようとした矢先、会話を割って漸く件の部屋のドアが開いた。
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