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episode.7-9
「……」
「陽くーん、久し振りー」
「何だその格好」
開口一番漏らしたが、お前が言えた台詞ではない。
気を悪くした彼女がぷくっと頬を膨らました。可愛い。
「うっそォ…もう捕まったんですか主任…」
「ねえねえ萱島さんガチ天使じゃない、ねえちょっと、何で黙ってたのギルティー」
「人の上司に迷惑掛けんな」
「迷惑って話してただけですし!ほんとそうやって直ぐ疫病神扱いするわけ!」
ぷんぷんと擬音が付きそうだ。
それを慣れた様子で往なす部下を見て、また少々むず痒くなった。
其処にあるのは知らぬ時をかけて形成された、此方にとっての異界だ。
紛れも無くただの「牧陽士」としての彼と、彼にとっての日常が漂う。
何だか見てはいけない物に思えた。
「すいませんね主任、この腐界の住人の話は全部流して頂いて結構なんで」
「あ、はい」
「萱島さんまたお話聞かせて下さいね!貴方は何て言うかその、私たちの業界で申し上げれば尊い」
「流して頂いて結構なんで」
快活に手を振る彼女を押し込める。
最後に軽く会釈を寄越し、部下は早々と隙間を閉ざした。
(………)
結局二度ひとりになった。
うんともすんとも言わない扉を勝手に睨め付け、煙草でも吸いたい衝動に駆られた。
(彼女キャラ濃すぎる)
流石牧。されど牧。
しかしあの齢にしてはとても出来た子で、既に女性としての品格すら覚えた。
良いなあ。無意識にそんな所感が浮上する。
手摺に上体を乗せ夕時を見上げた。
諸々の驚きは放っぽって、単純に仲睦まじいやり取りを目の当たりに、殊更に萱島の孤独が増していた。
「…いいや」
俄に顔を上げポケットに手を入れた。
ジャケットから携帯を出し短縮を押した。
此方から向かってしまえ。幻の定時である午後18時、未だ凍える外気の中彼を呼び出した。
「もしもし」
何時ぞやのやり取りを想起する。心許ない際に耳にする声の威力は矢張り目を見張る。
「あのさ、暇だから会社寄っていい?」
うちは基本的に無休で、社員は週休二日のシフト制だ。故に彼と休みが被る事の方が稀なのだ。
手をこまねいていれば、必然的に顔を合わせる機会は少ない。ジャケットの襟を寄せ、変わらず優しい返答に頬を緩めた。
「…ありがと」
踵を返して部屋に向かう。
外套と鞄を掴み、最低限の支度を整え勤務先を目指した。
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