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episode.8-1 「phantom」
空の端を不穏な雲が蠢いていた。
半刻もしない間に襲い来る。
多分今に、邸全体を覆って景色が変わる。
萱島は孝心会本家の縁側に1人腰を下ろし、ぼんやりと湿度の上がる大気を見ていた。
(午後から会社戻れるかな)
早く帰りたい一心で脚をぶらつかせた。
籍を放っておいたのが裏目に出た。
我らが組長、黒川は「関東孝心会」の若衆の1人で、詰まる所黒川組は二次団体に当たる。
本家に直通する者として「直系組長」等と呼ばれるが、面倒な月定例会の参加が義務づけられた挙句、毎月百万近い会費の上納がくっつくだけだ。
「アホらし…」
付き人に呼ばれ、その癖縁側に放られた萱島は口を尖らせた。
外に居ようが中に居ようが。
首を傾げたい。暴力団とは珍妙な制度でいっぱいである。
大体こんな何時警察が怒鳴り込んで来るとも知れない会議で、大事が話されるべくもない。
「あ」
不意に曇天から、ぽとんと足元に何かが落ちた。
視線をやると雀が居た。
置き物みたく留まり、首だけくるくる回して此方を窺っている。
(かわいい)
きゅっと唇を噛む。
萱島は上着を探り、客間からくすねたマドレーヌの封を開けた。
「…食べる?」
崩した破片を地面に放る。
警戒も無く、すんなりと小鳥はそれを啄ばんだ。
上体を屈めて見守った。
ちゅんちゅんと愛らしく、然れど機敏に動く生き物にふと、漠然とした既視感を覚えた。
(何だっけ)
人だった気がした。
違う気もした。
ぶらぶら海馬の端に、綿毛の様に引っ掛かっている。
マドレーヌはいつの間にやら無くなっていた。
黒豆の様に艶のある、円な瞳がまた上を向いた。
(睫毛が長かったんだっけ)
正体も分からず、ディティールだけが掘り起こされた。
良い気分ではない。
寧ろ漠然とした不快感に苛まれ、萱島は知らぬ間に雀から目を逸らしていた。
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