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episode.8-5

カンカン。 踏切を待って通り抜ける。 電車を後に出迎えたものは、あの時と寸分も変わらない湿った空気だ。 気分が悪い。 真冬の折に関わらず、肌に汗が浮かぶ。 (謝りたい) その行為はエゴの塊でしかない。 醜い、独善の極みだ。 (それでも良い) 前に進みたい。 吐き気を催しながら、然れど今なら辿り着けると確信していた。 空き地を超えた辺り迄は。 件の家が見えるか見えないか、ほんの数歩手前で脚が梃子でも動かなくなった。 吹き出す汗が止まらない。 傾いた電柱に身を投げ、萱島は懸命に呼吸を紡ぐ。 馬鹿馬鹿しい。 何時になっても駄目だ。 花屋で買った一基の供花が散らばった。 どうしたって只の過去が、近づく事さえ憚られる。 「…ごめん」 苦し紛れに思わず、欠片も意味のない謝罪を吐いていた。 「ごめんね」 憔悴し切った瞳が、一切の艶を消してぶれた。 萱島の生家は黒川が買い取り、他ならぬ当人の希望で残されていた。 不気味な家屋は悲劇の碑であり、墓標だった。 元より過疎地で更に人が立ち退き、隔絶された一帯は微塵も生の気配が無い。 けれど昔からそうだった。 萱島は思う。 あの家は端から、死の臭いが纏わり付いていた。 萱島は今日、「きいろ」に会いに家を目指した。 生き長らえる為に殺し、自分たちの血肉とした彼へ謝りたかった。 「きいろ」というのも名前では無い。 名前は全員知らない。 黄色いTシャツを着ていたからきいろと呼び(それも最後の方は黄色でなかったが)、萱島の名も施設で貰った。 他に6人居たらしい。正直記憶にない。 単なるセーフティーの抑圧かもしれない。 忘れて、自分だけのうのうと生きている。 その上人生を謳歌して、人並みの幸せまで抱えていた。

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