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episode.8-7
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『ーー第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならな』
両面刷りの頁を引き千切った。曇天へ投げ付ける。
教材は塵になった。
誰に叱られるにしても、何だって良かった。
件の家から助け出され、施設に放られた後――萱島は指導員から文字、音、道徳に至るまで、それこそ大凡普通の子供が触れるべきありとあらゆる事を叩き込まれた。
パソコンに等しかった。
萱島は端から取り零さず、労なく全てを飲み込んだ。
ただ難なく飲み込んだ後、それらを噛み砕いて反芻してから、いつも決まって死にたくなった。
「――ねえ萱島君、死んだってゲームみたいにリセットされる訳じゃないのよ。賢い君なら分かってると思うけど、もう其処でおしまいなの。人生に“最初からやり直す”は存在しないわ、君はもっと自分自身を大切に考えるべき」
顔のディティールは記憶に無い。
指導員の彼女が、肩を掴んで鸚鵡の様に繰り返したことばだけが張り付いている。
「ほら手が温かい、君は今も生きてるのよ。きっと神様に愛されているのね、とても良い子だからこれからもずっと…」
「他の子は?」
流暢に定型句を読んでいた。彼女の骨組みが軋んだ。
「他の子は神様に死ねって言われたの?」
彼女、その時何と返しただろう。
無言とも、憤ったとも、欠片も掴み取れない。
虚心な様をして、大人に答えを求めていながら、一から新しい解釈など必要でなかった。
欲しく無かった。
萱島はどうしようも無かった。
其れ迄の記憶が消えない。
どんなに絵の具を塗り付けても、精巧に描いても、真っ黒のキャンバスに綺麗な花は咲けない。
例え一方ならぬ喜びに溢れたとして、何処までも付き纏う。
見殺しにした。
目前で大人に捕まり、嬲られる子供達を。
我が身可愛さに道徳を捨て、只管に自分で無いことを祈った。
そうして遂に生き延びてしまった。
それだけを望んだ命を得た。
渇望した安寧だった。
その唯一尊んだものが。
此処に来て手にした瞬間、すべて塵屑になっていた。
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