165 / 203

episode.8-9

想定外に男は攻撃を加える事無く、急所を引っ手繰った。 気道が狭まる。 鷹に捕食されかけた鼠宜しく、僅かな隙間から懸命に生きようとする。 「来いよ」 会えば無事では済まないと知っていた。 承知していながら、止めもさせず解放を願ったのは萱島だった。 「ついて来い」 苛立ちも嘲りも含まない。 てんで空っぽな、何も無い顔が何処か懐かしい。 引き摺られる様に追従し、路地裏を蹌踉めく。 この男のお陰でトラウマが吹き出すのであれば 言い換えればコイツは知っている。 否、お前しか知らない。 萱島の心の闇は、此処に居る霧谷しか知らない。 嘗て自分を苦しめた男に連れ出され、馴染みの場所に来ていた。 表から逃げて地下に潜る、霧谷の自宅だった。 寝室まで引き摺られ、蹌踉として、床に投げ出された萱島は上を仰いだ。 酷い既視感だった。 この男は才能があると思う。 ただの視線で反抗心を毟り取る、猛禽類の様な才能が。 「2つから選べ」 あくまで淡々としていた。 実の所、業腹で仕方なかったろうに。 「此処で暮らすか」 想定外の問いに寸断される。 苦しい体勢で、萱島はまんじりともせず男を見やった。 「俺に殺されるか」 二択を言い終え、霧谷はそれでも不動を貫いた。 廊下から漏れる光を遮り、退路を断ち、閉じ込めておきながら最後に選択肢を寄越した。 萱島は呆けている。 目まぐるしい展開そのものより、未だ執着を見せる男に。 「…霧」 「どっちだ」 膝を追った相手が詰め寄る。 鈍く光る、鉛の瞳。 血もなく先への期待もなく、少し侘しい。 青白い腕が伸びた。 地面に押され、衝撃に息を詰める。 血も通わないと推測した手は然れど熱く、萱島の薄い脇腹を辿る。 空気の密度が上がり、嫌な予感がした。 逃れる様に手首を掴み、指を食い込ませた。 「…、どっちでもない」 獣の瞳孔が開く。 「お前の居ない世界で、生きたい」 ささくれた喉から、滑らすのに苦労した。 難を要して、最早それが本心かも見失った。

ともだちにシェアしよう!