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episode.8-15
久方振りに馴染みのドラッグストアに寄って、その他に特に用事もなく、終電を後にした萱島は早々と家に篭った。
身の毛のよだつ気温だ。
凍える廊下を歩き、端から全ての電気を点けて回った。
寝室と、風呂場まで灯した所で。
結局元の廊下に戻り、軽いビニール袋を放り出して蹲る。
100Wの電球が煌々と照らす。
蛍光灯が眩しい筈が。何故か夜の気配が背中まで張り付いて、身を守る様にずるずる床へ蹲っていた。
「…どっかいけよ」
膝へ顔を埋め、萱島は罵った。
離れず見ている影が、嘲りに揺らいだ気がした。
ご丁寧に、壁を擦り抜けてこんな所まで付いてくる。
(寒い)
とても独りだった。
冷たい袋を引っ手繰って、中身を漁った。
ペットボトルの水。
何故か買っていた安い飴。
昔世話になった睡眠導入剤。
迷いもせず導入剤の蓋を抉じ開け、フローリングへ直にばら撒いた。
からからと乾いた音がする。
愛想のない、最低限の音だ。
不意に懐かしい記憶が湧いた。
長い見目だけは綺麗な指が、萱島から錠剤を取り上げる映像。
霧谷。
はっとして何か、今初めて気が付いたかの様に、ポケットからネクタイピンを掠め取った。
「……」
もう居ない。
原因は知れない。俄に心臓が締め付けられる。
焦点がぶれる。
装飾のあしらわれたピンを、萱島は図らずそっと唇へ寄せていた。
(遭わなければ良かったんだ)
自分になんて。
そうすれば、きっと違った未来があったのに。
錠剤を掴み取り、水も使わずに適当な容量を放り込んだ。
昔からの癖だった。寝転んだまま噛み砕き、投げ出していた腕を労して持ち上げた。
午前2時36分。
明日は客が見える。3時間は寝ておきたい。
空が白むまでに瞼を落とせば、此方の勝ちだ。
「…ごめんね」
萱島は波間に漂う意識で、その時は睡眠だけを目的に過剰な量へ手を伸ばしていた。
「ごめん、霧谷」
誰かが頭の中を荒らし回り、勝手に引っ掻き回している。
朧気でとても働かない。
直に益々酷くなり、3時を跨ぐ頃には不可思議な呼吸が募り始めていた。
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