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episode.8-17
「沙南」
白いほっぺたに触れる。
予期していた温度でなく、ともすれば床と変わらず。反応の伺えない肩を抱き上げ、部下の姿を覗き込んだ。
「…お前」
ふと背景に目を這わせた先で、やっと放られた瓶を掴み取った。
中身が殆ど無い。
意識の無い存在を抱え、神崎は直ぐ様携帯を取り出していた。
「ーー救急車を一台…睡眠薬の過剰服薬です」
何時からこうなっていたのか。
散らかっていたレシートの打刻は2時9分。
昨日少し、様子が変だった。
既に体温の下がり始めた身体を、袖を抜いたコートで包み込んだ。
「ええ、意識はありませんが呼吸は大丈夫です。住所は、」
手中の物が目に止まる。
何故か後生大事そうに、意識を連れ去られて未だ何か守っていた。
光に翳す。
僅かに装飾の施された、シルバー製のネクタイピンだった。
どうも既視感のある造形だ。
コールスタッフと話す傍ら、神崎はやけに取っ掛かりを覚えるアクセサリーを部下へ返し、冷たい手を握ってやった。
間も無く通報先が現れ、萱島は搬送された。
隊員は誰も手慣れていた。
神崎も存じていたが、最近は市販の睡眠薬を流し込んだ所で、そうそう大事に至らない。
別に医師も騒がない。
終始呑気な調子で、処置を終えた病室は静まり返っていた。
神崎は部屋の一端に掛けていた。
ベッドに崩れる、萱島は普段が嘘の様に沈黙している。
そう言えば前にもこんなシーンがあった。
あの時はどうも原因が分かり切っていたが。
考え込んで顔を覗いていた先、矢庭に席を立ち、神崎は音のない空間を抜け出した。
「はあい、牧ちゃん」
また電話を繋ぐ。
部下はゼロコールで応答した。
掛けたら掛けたで、何時も皺寄せを受ける彼は不機嫌を丸出しにしている。
「暫く休ませるから…悪いけど死なない程度に頑張って、今度SLI対応マザー買ってあげるから」
何だかんだウチの班長代表は人が良い。
泣き喚いていたが、その内勝手に大人しくなり了承を寄越していた。
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