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episode.9-6
「寝転んで食べてたら間違えちゃった」
「…何だって?」
「お菓子かと思って」
言ってからどうもふざけ過ぎたと踏んだのか、誤魔化しに重ねてへらへらする。
そんな所まで上手くなって、傍目にはすっかり戻った素振りで、萱島は俄に立ち上がった。
「もう買い物に行かないと暗くなっちゃうよ」
「出前にしようと思ってた」
「そうなの?…本郷さんが作った方が美味しいのに」
水族館の鮪が進路を変えた。
明らかに妙な知恵を付け、寸前でUターンして回るのを止めた。
正直本郷はついて行けない。
しかし何をしたいのか、萱島自身も把握しているのだろうか。
「…食べたい物は?」
「シチュー、白いシチューが良い」
「分かったよ」
どうして、何処か、変になったとしても。急いで買い物を済ませて帰って、マトモな食事を食べさせる。
そうしたら少しでも1日を明るく見て、楽しめるかもしれない。
氷も溶かして、身体を温めてやれる。
「なら少し出るから…何かあったら直ぐ電話すること」
「はい」
最低限の物だけ手にして、本郷はドアの鍵を外した。
見送る相手は聞き分けよく廊下で手を組んでいる。
「宅配とか来ても出なくて良いからな」
「分かってる、いってらっしゃい」
間際まで大切な宝物を仕舞う様に、玄関に佇む身体を見ていた。
隙間が消え、箱庭の扉が閉まる。
再び何の音もない空間が襲い来る。
萱島はじっと立っていた。
息は張り詰めたまま、着実に這い寄り始めた気配を感じ、宙を睨む。
「……」
知らず知らず汗が滲んだ。
蛍光灯まで飲み込みかける闇に、振り向くのも憚られ。
埒が明かず、臍を固めて首を捻った。
途端、閉ざされた筈の室内を風が突き抜けた。
(――ついてくる)
頬骨の浮いた男が立っている。
まんじりともせず何も言わず、萱島に目を剥いている。
何処に行こうとついて来る。
ならばもう、此処に居てはいけない。
先にこの亡霊は、あろう事かこの家の天井へ四肢を広げ、大切な本郷にまで。
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