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episode.9-8
扉越しにほんの少し聞こえる。
コールが何度も続いて、決まった秒数で音は途絶えた。
「…沙南?」
心臓が握りつぶされるかと思った。
何度も、聞き慣れたその声が間近にあった。
「今社長の家だが、何処に居る?」
少し余裕が無い。でも変わらず優しい。
凍て付いたドアに手を付いて、萱島の目から今度こそ涙が落ちた。
直ぐ鍵を外して出て行けば良い。
手を伸ばせば居る。なのに、微塵も身体が動かない。
声が漏れそうになって押さえた。
さっきやっと祈った。君は幸せになる。自分の居ない世界で。
「…直ぐに電話して」
留守電に残して通話を切る。
戸和はもう一度ドアを見やり、ようやっとその場を去った。
求め続けた気配が遠退いた。突き放した事実も苦しめて、タイルにぼたぼたと水滴が流れた。
必要な器官を取られた気がした。
四肢の支えを失くし、みっともなくドアに縋った。
「…っ、ふ、…ぅ」
捜しに来てくれたの。
誰にも聞こえない胸中で、謝罪と感謝を並べ立てた。
身体が叩き切られる。
この痛みは、今迄とまったく別の生き物だった。
(早く)
信号待ちに出会す度リダイヤルを押した。
苛々とハンドルを指先が叩く。
(早く出ろ)
フロント硝子で遮断された先、未だ色は変わらない。
行き交う通行人がやけに遠い。
本郷は部下の異常に勘付き、スーパーから早々にルートを変えていた。
郊外の研究所へ向かう傍ら、何度も其処の所長を呼んだ。
入国審査は最低限にして欲しい。とっとと目的を連れて行きたい。
焼き切れそうな寸前、どうにか回線が繋がった。
「御坂、未だ其処に居るな」
応答も待たず先手を取る。
主語をすっ飛ばしたのに、理解するのがこの男だった。
『和泉君なら出てったけど?』
「…出てった?今か?」
『会議の前だから30分は経ったよ、粗方話したら君らの家に行くって…ああごめんね連絡出来なくて、なんせ僕も立て込んでて』
タイミングが悪すぎる。
完全に擦れ違ってしまった。
信号から車体を捩り路肩に止めた。
誓っても良い、萱島は確実に出ない。
戸和と分かっても出ない。
否、分かったら絶対に出ないのだ。
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