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episode.9-15

歩いていた地面の感触が変わった。 色みを濃くして、くっきりと足跡を作る。 知らない間に波打ち際までやって来て、残された貝や砂利を踏んでいた。 先導していた彼が立ち止まる。 萱島は佇み、黙って砂を洗う境界を見詰めた。 遠くは空と変わらず原色に近いのに。 間近までやって来た波は、川と同じく透明だ。 「思ってたのと違った?」 身動ぎもしない萱島に、傍らの青年が問い掛けた。 「もっと上を見て」 落ちていた視線を擡げる。 波は揺れて遠くなって、何処までも、何処までも。果てにある水平線は視力の限界であって、本当の終わりでは無い。 気が遠くなる様な距離。 先人達が恐れた未知。いよいよ落下した太陽が、海面に触れて飲み込まれかけている。 「…溶けちゃうよ」 繋いだ手に力を込めた。純真に驚いて、大きな瞳が潤む。 「溶けないよ。どれだけ離れてると思ってんだ」 「彼処の船は?何処まで行くの?」 「さあ…あの大きさだと遠洋で南太平洋辺りまでは行くんじゃないか」 メディアと異なる迫力に、矢継ぎ早な質問が生まれた。 夢中で見詰める相手の肩を引き寄せ、戸和は隣からじっと視線を寄越した。 風が止む。 寒気を遮る熱に、輝く瞳が振り返った。 「そんな所まで此処から繋がってるの?ほんとに?」 「沙南、世界地図は知ってるだろ」 「それはそうだけど」 確かに、初めて見た時は懐疑的だった。 もう余り記憶にないが。理解を超えた規模は、人間を時に不安にもさせる。 「…じゃあ此処からアメリカにも行ける?」 「勿論」 「どれ位かかる?」 「俺が帰国した時は…ロスから2週間は掛かったかな」 アメリカ、は萱島の中で一番遠いワードだったのだろう。 閉口して理論的に考え始めた姿に、戸和は向き直り、膝を折って目線を合わせた。 「ほら知らない事が沢山あった」 「…?」 意図を掴めず惑う。 眉尻を下げた相手の両手を捉え、指を絡めて繋ぎ合わせた。 「沙南が生まれて、歩いてきた今までが全部じゃないよ」 初めて相対した頃から感じた。 中心から温める様な眼差し。穴の空いた体内に熱が満ちる。 奪われた器官が、戻ってきた気がした。

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