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13-3 シーグルが生まれた日

 分娩室へと向かったマコトと離れた俺は、ひたすらに遅う恐怖に震えていた。  婆が言うには、竜人の子としては小さいほうだが、人族が産み落とすには大きい。出産に関わるスキルも持っているが、それでも初産は時間がかかるだろうと。  倒れてしまいそうなマコトの側にいられれば、その様子を見続けていられれば安心だ。  だが婆は俺を側には置かなかった。側にいればそれこそ、心配で死んでしまうと言われてしまった。  そうして控え室へと向かうと、そこには両親の姿がある。毅然と立った母が、こんなにも頼もしく見える。 「母上、子を産むというのはあれほどの苦痛なのか」  あんなに苦しいなんて、知らなかったんだ。どうして俺は、それを強いてしまったんだ。  人族が異種族の子を、しかも一番大きいと言われる竜人の子を宿して、いくらスキルがあるとは言え楽になど産めないと、どうして察してやれなかったんだ。 「こんなに苦しむ彼の姿を見るくらいなら、子など望むべきではなかった」 「違うわ、ユーリス。それは違うのよ」  母は俺の体を抱きしめて言ってくれる。それは違うと、強い声で言ってくれる。 「マコトさんも望んだ事よ。産まれてくる子は、二人の子なのよ。貴方は誰よりも、産まれてくる子を愛して、大事に育てなければならないわ」 「母上…」  こんな風に母に抱きしめられて、背を撫でられるのはいつぶりだ。遙かに昔、小さな子供の頃にしか記憶がない。  母も、あのように苦しんで産んでくれたのだろうか。これほどに、慈しんでくれたのだろうか。そして父も、今の俺のように不安と恐怖に震えていたのだろうか。  親の愛を、忘れていた。大人になった気になって、いつしか当然のように見えなくなっていた。 「大丈夫、マコトさんは強い子よ。きっと大丈夫、婆もついているんだから」  母のその言葉に、俺は頷いて祈った。  マコトは強い、俺がこれではいけない。祈る事しかできないが、信じることしか今はできないが、それでもどうかと、ただ願った。  とても長い時間に思えた。それは突然で、あまりに急で心構えができなかった。  リーンが連れてきた子は、小さく愛らしい男の子だった。 「無事にお生まれになりましたよ」  ほっと微笑む彼女に駆け寄り、俺はその子を見つめ、同時にマコトの事が気になってしまった。 「マコトは!」 「大丈夫ですわ、ユーリス様。出血は多かったのですが、ご本人も元気で、意識もあります。その出血も比較的早く止まりました。婆様の治療もありますが、何よりも自己治癒のスキルのおかげですわ」  それを聞いて、俺は気が抜けた。ペタンと床に崩れ落ちた俺に、父が近づいて来て力強く一度抱きしめて、次には肩を叩いていく。  不安が、溶けていく。残るのは、幸福ばかりだ。 「ユーリス、ほら」  子をいち早く抱いた母が、早くこいと俺をせっつく。  立ち上がって、近づいて、見つめるその子は笑いかけてくれる。愛らしく柔らかなそれは、とても繊細で優しい匂いがする。  差し出されるが、俺はどう抱いていいか分からない。何度か練習はしたが、上手く出来ているとは思えない。こんなに柔らかな小さなものを抱いた事がないんだ。  見かねた母が俺の腕を形作って、そこにそっとその子を委ねてくれる。  動く事すらもできない。首が簡単に落ちてしまいそうだ。柔らかな体は、とても温かい。黒い瞳が俺を見て、嬉しそうに微笑んでいる。  ジワリとこみ上げるものが、伝い落ちていく。本を読んで、マコトに触れて、守る者を得て。父になるのだと気持ちは向かっていた。  だが、そこに実感が伴っていなかったのも事実だ。あまりに早すぎる誕生に、追いついて行かなかったのも事実だ。  だが今は違う。この腕に抱くあまりに軽く、あまりに重い我が子が俺に教えてくれる。俺は、この時本当に父親になった。 「怖い…な。こんなに柔らかくて…壊れてしまいそうなのか…」 「だからこそ、守ってあげるのよ」  母に言われ、俺は頷いた。早くマコトに会いたい。早く、側に行きたい。顔を見て、そしてまずは「有り難う」と言いたい。

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