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warning night2
(つづいてしまったつづき)
「ふっ、…ぅ、…っう」
本当に悲しい時、怖い時人は声なんて出ない。
普段から高いアルトは霧のようになって、喧しいメタルに呑み込まれた。
「ねえ名前教えて、名前」
「トダ、携帯貸せよ。俺の電池ないわ」
小さな身体は座席に沈み、あっさりと服を剥がれる。
布を託し上げて肌を覗き込んだ。男の喉仏がぐっと上下した。
「おお、ムービー良いっすね」
「可っ愛い乳首してんなぁ…ちゃんと撮れよ」
萱島は結局、ボロボロ泣くだけだ。犯人からすればお利口でしかない。
時折ちゃんと抵抗したところで、赤子の様に捻られた。
「ほらよく撮れてるから泣かないの」
「おめーの顔がキモイからやだってよ」
「そんな事ねーよなァ、ほらちゅーしよ」
顎を固定された挙句、男の身体が覆い被さる。恐ろしいほど強い。
圧し掛かる重みから逃れる術もなく、無遠慮に唇へ吸い付かれた。
「…ん、ッん、」
周囲は蛮行を羨望の目で見ている。
むちゃくちゃに押し入った舌が、最後の抵抗を割った。気持ち悪いくらい熱い。
舌も、押さえつける手も、車の中の空気ぜんぶ。
怖くて息も出来ない。勝手に唾液の音を響かせ、男は夢中で口内を味わっていた。
「…――あーあ、」
やっと離された頃には舐め尽くされ、既に何も無くなっていた。呆然と真っ赤な目で息だけする。
見上げれば高揚した目が、猛禽みたいに狙いを付けていた。
「めっちゃ甘え…何君はお菓子で出来てんの?」
「俺にも食わせろよそれ」
バチが当たったんだ。和泉の言いつけを破ったから。
止まらない涙が首へ、鎖骨へ、胸へ落っこちた瞬間、そのまま他所から別の人間が舐め取った。
「ひ、…っぅ、あ」
「感じてんの、かわいい」
「なーって…やっぱ家連れてこうぜこの子」
「そりゃ流石に怪しまれんだろ、家のヤツによー」
ぐりぐり舌が突起へ押し当てられる。足の先から天辺まで、気の飛びそうな悪寒が突き抜けた。
男は感触にやみつきになっていた。
薄い胸の柔らかいものを愛しそうに舐め、噛み、時折反応を伺う様に覗き込む。
嫌で嫌で仕方なかった。
今頃本当は、和泉の隣であったかいごはんを食べていたのに。
彼の隣りにいたら、こんな怖い事有りはしないのに。
自分が勝手に出てきたからだ。
「ずっと泣いちゃってまあ、大人しいのに」
「ごめんねそんな怖がんないでいいんだよ、俺らはさ、君が可愛いから仲良くなりたいだけなの」
「抱っこしたげようか?」
いらない。けど何も言えない。
家に帰れたらそれだけで、他はちっとも欲しくなかった。
「…ぇ、して」
「んー?どした」
「おう、ち…かえ、して…」
「それはもうちょっと良い子にしてたらな」
良い子になんてしてない。ずっとしてない。
自責の念でまた一層、悲しくて消えたくなった。
和泉。
下肢を剥かれ、どん底に追い込まれながら、萱島は何時も温かい存在を思い出していた。
和泉、そっちに行きたい。
怒って無視されてもいいから、和泉の手に触りたい。
ドアを映し込む大きな硝子から、蛇口を捻ったように恐怖が溢れ続ける。輪郭がぼやけて、ひとつも見えなくなっていた。
このままずっと彼方此方痛いのだろうか。
苦しい箱の中で諦めかけた。
けれども突然大きな衝撃が景色を揺らし、場が転換した。
「――おい、何だコラ!」
「車に何やってんだ!ボコるぞてめえ!」
どうしたんだろう。
五感の朧気な萱島に、それでも断片的な声だけが飛んで来る。
急に喧しい外野へ困惑しつつ、しかし視界もなくシートに転がっていた。
「い…っ!痛え…やめろ、やめろ糞が…!」
呻き声がした。
明らかに違う人間が外から来て、場を掻き回していた。
萱島は必死に手をつき、僅か身を起こす。
もしかして異変を察して、警察でも来たのだろうか。
頭がくらくらして軋んだ。窓の外は街灯が反射して、想定以上に目を焼き、輪をかけて何も見えなかった。
(…頭が…痛い)
気付いたら周囲には誰も居らず、全員車の外へ出て行ったのだろう。
どうして良いのかわからないまま、それでも自分も出ようと座席を這った。
人の声はもう止んでいた。
五月蝿いBGMだけがコンポから叫び、逃れようとドアへ手を掛ける。
「…?」
萱島が掴む寸前、外から重いドアは開いた。
流れこむ夜風の心地よさにみるみる視界が晴れる。
首を上げ、姿を捉えると、引き攣った喉から風鳴りみたいな声が出た。
「いず、み」
背中に街灯を受けた彼が、まったくの無表情で見下ろしていた。
望んでいた再会の筈が、萱島はすべての動きを封じ込まれた。
「…何してる?沙南」
涼しい風が髪を攫う。問う声もまた、ほんの囁きだった。
「お前は、其処で何してるんだ」
同じ音が攻め込んだ。
ひゅっと萱島の喉が鳴る。中途半端に伸びていた手を捕まれ、車外へ引き摺り出された。
立ち眩みに崩れる手前、相手が腰から支え上げた。
じっと触れた箇所から体温が伝う。待ち焦がれた、柔らかい熱。
「…、ぅ」
もう酷い場所から助け出された。
無機質ながら、上からは確かに和泉が見ていた。
「っふ、ぅ…う、うわぁあ…ッあ」
俄に堤防が決壊した。萱島は縋り付いて滅茶苦茶に泣き始めた。
普段ない力で握り締める、その様を相手は責めるような強さで抱き締めた。
「沙南」
子供みたいに憚り無く泣き喚く。頭を押し抱き、戸和は耳元に低い声を埋めた。
「話は帰ってしよう」
その時、ずっとしがみついていた萱島には見えなかった。
2人の脚元、息もせず横たわる血塗れになった半死体に。
帰りの車内は無言だった。
お陰で、落ち着いた萱島にはたっぷり自省する時間が出来た。
何度も謝ろうと口を開きかけた。然れど運転席の彼は冷め切って、とても取り付く島がなかった。
「…あの、」
マンションに辿り着き、玄関を潜る。その段階になって漸く声をあげた、萱島の手首を掴み上げ、戸和は壁へ力任せに打ち付けた。
「――ったぁ…」
「いい加減にしろよお前」
凍てついた声に、全身が温度を欠いた。
さっきとは全然違う、それでいて震え上がるほどの恐怖が牙を剥いた。
「言ったな?夜に勝手に出歩くなって何度も」
「…ご、ごめん」
「何回謝る気だ」
こんなに食い込むほど力を入れられた例はない。
何だかんだ、いつもは壊れ物を扱う様に触る。彼の純粋な怒りを目の当たりに、萱島はカタカタと身を慄かせていた。
「何回も何回も、この先もお前が謝ったら許すのか?俺が?」
「ち、違う…もうしない…」
「それも聞き飽きた。一生此処に縛り付けて欲しいのか」
細い手首が、耐え得るぎりぎりの負荷だった。
次第に患部が変色を始める。痛みも余りわからず、けれど別の箇所が傷んで、引っ切り無しに涙を流す。
目は真っ赤だ。
シャツは襟元から濡れそぼって、見るからに憔悴していた。
「ご、ごめんなさい」
萱島は頑張っても、それ以上言える台詞が無かった。
「…も、っ絶対…しません、いずみが…言ったこと、ぜんぶ…」
全身を傷めつけられながら、壊れた玩具みたいにごめんなさいを繰り返す。
床まで濡れても泣くのをやめない。
それしか知らないからだ。
他に上手い駆け引きを、本当に一つも持ってやしない。
親に叱られた子供だった。
置いて行かれたら、見放されたら、まるで世界が終わって生きていけないかの必死さだった。
「…お前は考えた事あるか?」
秒針が半周くらいして、腕の力が僅か緩んだ。
どくどくと待ち望んだ血流が再開する。大きな手は、其処を離れて肩へと回った。
「お前が消えてからの間、一体どんな心象か」
背中を包んだ。手はやっぱり温かく、胸が締め付けられた。
追い詰めるのは終わっていた。
戸和は目前の小さな身体を、閉じ込めるように深く抱き寄せた。
「他人が少しでもお前に触る度、気が狂いそうなんだよ」
耳元で吐き出された。
その掠れた声音が、呼吸にすら苦しげなほど。
萱島はするすると大きな飴玉を見開く。10%の恐怖と、90%の愛おしさが体内へ溢れ、全身が紅潮して熱を湛えた。色々溢れ出てくる、切なさにぐっと眉を寄せて見上げた。
「…いず、ごめんね」
「もう謝るのは止めろ」
「ちゃんと反省したから、もうしない…」
唇へ柔らかい熱が降りた。少し重ね合わせ、見詰めただけで、残っていた不快が一掃されてしまった。
「じゃあ分かったから甘えな」
「…うん」
べったりと身体を張り付ける。落ち着こうとした矢先、背後に伸びた手がシャツを捲った。
「っえ、な、なんで」
「序に触られた所を全部言え」
「ぜ、全部…?」
そう言えば頭が晴れてきた段階になって、遅ればせながら彼らはどうなったのだろうと巡らせた。
そして腕を回した彼のシャツ、注視すればあちこち血が飛んでいる事も。
「ねえいずみ…あの人達どうしたの?」
「殺してない」
「…うん」
「免許証は取ってある」
「う、うん…」
取ってあるからして、それをどうするのだろう。
惑っている萱島に痺れを切らしたのか、服を剥ぎ取られた。
いつも通り抵抗しかけて、じっと意味深な目を寄越す彼に竦んだ。
そうだ約束してしまった。さっき全部いうことを聞くって。
「……でもそれは、きまりごととか、そういうつもりのことで…」
ぼそぼそ呟く。
また言い訳か、とでも追求したげに見ていた。戸和は再び両手を掴み上げ、吐かないのならと余すところ無く肌を食み始めた。
(長くなったのでこの辺りで)
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