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(memo-6) 新入社員の研修篇

「やっまなしくん」 指導役が席を立った隙間。 空椅子を引き寄せ、お隣の班長が腰を下ろした。 「あ…えっと千葉班長」 「止めろよ班長とか本当の事言うなよ。千葉でいいよ」 近い近い。此処の人は距離が近い。 ただ緊張を察したのか肩から手を離し、愛嬌に富んだ表情をくれた。 無闇矢鱈に詰める訳でも無いらしい。 未だ若いのに、上手で山梨は鼻白んだ。 「邪魔しに来んなよ千葉」 「うるせーなもう直ぐ出るから、挨拶だろ」 此処のスタッフは皆仲が良さそうだ。 野次を追い払う様子に、青年の表情が少し解ける。 加えてこうして忙しい中、逐一新人の相手に来てくれるのだから。 「ごめんな今日研修出来ないんだけど、実は昨日…」 其処で彼の上着が喧しく震えた。 着信らしい。気を遣って身を引いた山梨の手前、千葉はあろうことか音量だけ下げ話に戻ろうとする。 良いのか。 青年は居心地が悪くなった。客先では無いにしても、結構コールがしつこかったが。 「あの、電話…」 「大丈夫大丈夫、全っ然急用じゃないから」 「おい千葉」 今度は横から邪魔が入った。 隣の島の同僚が、此方に声を張っていた。 「お前に外線。出て」 「…打ち合わせ中だ馬鹿」 「はよ」 まさか固定に掛けてきたのか。 追い詰められ、千葉は致し方なく受話器へ手を伸ばす。ただそこで手が止まる。 此処の回線はFAX専用も含め10チャンネル。しかし現在、既に半数が保留中になっていた。 「何番だよ」 「いや全部お前だよ。携帯出ねえからだよ先ず、はよしろや」 「……」 渉外担当とは言え、そんなに捌かねばならないのか。 慄く青年が成り行きを見守る。 千葉の指先がボタンの上を彷徨う。唸った後、運に任せた番号で応答した。 「もしもし千葉です、あっ…」 露骨に顔色が曇った。どうやらくじ引きに失敗したらしかった。 「いいやそんな…今からなんてご冗談を…えっ、来週…ああ来週…なら勿論です、幾らでもあはは」 無理くり明るい声を捻り出す。 相手先の声量がデカいものだから、傍らに居る山梨くんも内容は聞こえてしまった。 完全にゴルフの誘いだった。 「ええ、分かりました。また連絡しますんで、はーい…はいはーいまた…」 ガチャン。受話器を置いて当人は黙ってしまったが。 電話の方は未だまだ呼んでいた。もしやこれ、全部業務外の類いなのでは。 どうするつもりだと見ていたら、躊躇もなく千葉は留守電を押した。 即断。慣れている様子からして、よもや毎日これなのか。 「…俺ゴルフ嫌いなんだよ」 真顔で言う。 その様で。 ノイローゼになりそうな着信を目の当たりに、山梨くんは営業に配属されない事を祈るばかりだった。 (千葉班長の闇) 頼まれた資料を手に、山梨はリーダーの席へ近付いた。 スウェットの後ろ姿は一心に机を向いている。 矢張り忙しいだろうか。隣には主任が掛けているものの、各々自分の手先に夢中だし。 後にしようか…と再度背後から覗き込んだ、山梨くんにまたも衝撃が走った。 この上司、一度に5画面をモニタリングしながら且つエロゲをしている。 しかも秒速でスクショの音が響く。 現代に聖徳太子現る。というか聴覚に加え、視覚情報も処理しているのだから超えたのでは。 「あ、あの…すみません、千葉班長から資料を…」 「…ん、お、ありがと貰うわ」 振り返って受け取る彼は、声も態度も柔らかい。 ただし手元のスマホから喘ぎが漏れまくっている。リーダー、せめてイヤホンを。 隣の主任も我関せず黙々と何かしている。 「序でにちょっと書いて欲しい物があってさ、其処座ってくれる?」 「はい、承知しました…」 ちらりと主任の手元が見えた。切り絵に勤しんでいた。 「牧、牧出来たで」 「わあー凄い凄い、明日戸和くんに見せなさい」 「いやちゃんと見てよ、これカニ…すごくないこの脚とか、カニ」 「ああもうウザいい…やだこの席ウザい…」 萱島に揺さぶられた牧が泣き言を漏らす。保育所と見紛う光景に、山梨くんが頻りに目を瞬いた。 不味い。 雲行きを察し、牧が隣の構ってちゃんを押し退けた。 「…違うんだよ山梨くん、いつもは隣に飼育員の人が居てね。もう少し大人しくなるから」 「誰が動物園の猿だ。謝れ」 「今日はそいつが居ないから調子乗ってるだけで」 「あ、手切った」 ぽろっと呟かれた内容に、反射で牧が振り返る。 当人は愛想笑いを浮かべた。 直後。萱島はハサミを奪われた挙句手を吊るし上げられ、おまけに頭まで叩かれた。 「痛い」 「ほんとこの阿呆は…下手しい俺の責任になるんですから、いい加減にして貰えませんか」 「…すみません」 よくある事なのかそういう性質なのか、リーダーは財布から絆創膏まで出してきた。女子力。 「山梨くん凄いんだよ牧は、真性ツンデレだからボロクソ言いながら絆創膏まで巻いてくれるんだよ」 「指切り落としますよ」 「しかもエロゲしながら画面全部見てるからね」 「まあエロゲは呼吸と同義ですからね」 何故かドヤ顔で萱島が部下を語る。 信頼が深い、と言えばこの上なく良い会社だが。 如何せんバックでは濡れ場の嬌声がこだましていた。 やっていけるのだろうか。うっかりリーダー自ら、新人の不安を増長させていた。 (部下大好き責任者)

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