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再婚報道の真相
5年前聞いた覚えがある。
その日も非常識な時間に帰ったかと思えば、居間で死んだ様に動かなくなり、危うく緊急通報を押さえそうになった後。
起き上がった当人が此方の分まで飯を作り出したので、萱島は半ば呆れ返って板目を睨み言った。
「…顔も良い性格も良い、地位も財力も申し分なく何より人間的に素晴らしい。そんな非の打ち所の無い人間が、微塵も幸せになれない世の中をどう思います?」
「そんな奴何処に居るんだよ」
菜箸を手にした本郷は、心底妙な物を見る目つきで振り返った。
「…――という様な一件が御座いましてね」
勝手に回想を終えた支部長が開眼する。
真新しい机に腕を突き、大仰な所作で語る上司に、対岸の千葉はざっくりと相槌を打った。
「知っての通りあの人はちょっと…基本的に天然なんですよ」
「萱島さんが言うのもどうかと思いますが」
「黙らっしゃい」
ぴしゃりと言い放ったが、部下は誌面に意識を下げた。
衝撃のFAXから1日。
結局当人に問い糾せど、珍しく歯切れの悪い応答で煙に巻かれた。
事実の如何にしろ。何かあった、それは明察だ。
「あんまりにも歯切れが悪いから、遂に社長と入籍したのかと」
「もう今は一緒に住んで無いんでしょうよ」
「そうだよ。本郷さん、今は寝屋川隊長の家に押し掛けてるんだってよ。何だ彼処の責任者は、誰かと一緒に居ないと気が済まんのか」
「世知辛い世の中ですから」
「今日こっち来るらしいな、逃げられないよう鼠捕りでも仕掛けとくか」
それで詰問してやろう。うむ。
萱島がこの話題に行き着いたのは、何も懐古に浸っていた訳ではない。
“本郷副社長、再婚か”
そうあの真偽も不明なトンデモニュース。
今日こそ突き止めねばなるまい。何せ彼、前回明らかな失敗を犯しているのだから。
「…お」
話し込んでいたらまさに呼び鈴が鳴った。
自分の会社なのに。律儀に知らせる彼を迎えに、萱島は玄関へと急ぐ。
「本郷さん!」
アナログな扉を押し開いた。お昼間の逆光の中、随分久し振りに見た男前が目を瞬いていた。
「…おお、元気そうだな」
「手え貸して下さい」
「何?手?」
惑っている間に引っ手繰る。勝手にまじまじと見つめると、左手の薬指は空だった。
どういう事だ。一点を凝視したまま、玄関先で考え込む。
萱島の奇行に彼は首を傾けたまま。
「…ねえ」
「どした」
「結婚したんじゃないんですか」
「あっ」
何があっ、だ。面食らった反応にフラストレーションが芽生えた。
ぎりぎりと掴んだ指に力が篭もる。さあ吐け。さっさと吐け。
「お前…前も電話してきたけど、それ何処で聞いた」
「ソースは本部のFAXから」
「FAX?なに?書面で寄越したのかよ。アイツら人の不幸を何だと…」
「…不幸?」
すっと力を解き、きょとんと萱島が佇んだ。
お目出度い話では無かったのか。
沈鬱な彼の表情からしても、どうやら“隠していた理由”は其処らしい。
「…良いですか、俺は確かに婚姻届に名前は書きました。但し役所に提出もしてないし、入籍もしてません」
「ええと…寸前で揉めたとか?」
吹っ切れたのか。つらつら真相を述べだした勢いに、何故か萱島の側が気を遣い始めた。
「偽装で書いたんだよ。取引先の社長にストーカーされて、何度か警察沙汰になったから」
まーた厄介な女性に狙われたのか。ことの経緯はどうあれ、やっぱり問題は起きてたんじゃないか。
しかし序破急を聞いてみれば、特段ネタにする様なトピックでもない。
婚姻届も犯人を納得させるべく、適当な人間の名前を書いただけだろう。
適当な人間の。
「……」
ふと考えた。半端な女性の名前を書いたとして、サイコなストーカーが引き下がるだろうか。
よっぽど凄い美人。
若しくは権力者。
さて、両方合致する人間を知っていた。
おまけに10年以上一緒に暮らして、名前で呼び合う間柄の…。
「――…社長?」
ドサッ。確実に的を突かれた様相で、本郷が鞄を取り落とした。
「…社長の名前書いたんですか?ああそれで?いやどういう訳で?そんなまさか、本当に付き合ってたんですか…!」
「止めて、違うから。話聞いて」
「別に良いですけどね、貴方達がデキてようが誰も驚きませんけど…何で隠してたんですか、恥ずかしいんでしょうどうせ!」
「…結婚を前提に同棲してるって嘘吐いたら、アイツの名前を書くしか無くなったんです」
悲痛な声で弁明されたら流石に黙ってしまった。
玄関に乾いた沈黙が訪れる。
両者、肩で息をしていたが。
漸くクールダウンした今、萱島はゆっくりと彼の言葉を反芻していた。
内容を落とし込み、ぼんやり真相を掴み始める。
(確かにそれは)
現在までの責任者2人を思い返した。
(隠しておきたい案件だろう)
部下にしてみれば、日常を潤す格好のネタだし。
萱島はすっかり眉尻を下げ、元気のない副社長の鞄を拾い上げる。
「けど良く納得しましたね、日本じゃ同性婚出来ないのに」
「…ああ、何か普通にアイツが出て来たら納得されたわ」
「そんなに落ち込まなくても、元から結婚してたみたいなもんですし」
じっと萱島を睨んだ。暫く静かになった後、お前までなどと呟く。
拗ねてしまった。こんな不服を出してる顔、滅多に見れたものでなかった。
彼にしてみれば嫌な件だろうが、何となく萱島は嬉しくなる。
本当に結婚など…否そもそも恋情が絡むなど、有り得ないにしても。
きっとこの先何十年、文句を言いながら一緒に居るのだ。
そんな絵が容易に想像できた。
「ねえ、その話奥でゆっくり聞きたい」
目前の腕を引っ張った。
綺麗な顔がやっと不満を引っ込め、萱島の髪を櫛った。
「…だーめ。今日はお前と千葉のこと甘やかしに来たんだから」
いつもの事じゃないか。
改めて見れば、反対の手には大量のお土産を抱えていた。
相変わらずの甘さに焼かれ、萱島は手を引いて室内へと戻る。さっきの話、千葉の前でもしてやろう。
そんな薄情な思惑を抱きながら。
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