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君と!
休みの日の朝、隣の体温で途端、特別なものになる。
昨夜構い過ぎて疲れたのか、くったりとシーツに丸まる小さな背。髪はふわふわ彼方此方に跳ね、微かに掛け布団の山が上下する。
此方を向かない表情を求め、手を伸ばす。
掌に収まる肩を掴み、極力気を払って上から覗き込んだ。
「…んん」
殆どただの息。睡眠で血色の良い肌を晒し、萱島は何の懸念もなく、白いシーツに身を投げ出していた。
「沙南」
反応は無い。
ただ戸和が髪を梳いてやると、体温を察したのか指を繋げてきた。
きゅっと緩い力で絡む。まったく無意識に青年を求める行為に、その指先を掴み口付けた。
「ふ、…」
爪先を噛み、際へ唇を這わす。ふるり体ごと震えて、手からぼうっと熱くなった。
今何の夢を見ているのだろう。幸せそうに、薄い胸を呼吸に動かしている。
ほんの少し唇を開けて。昨晩さんざん愛で尽くした胸の先が、僅か布の隙間からのぞいていた。
腫れてやしないか、最初はただの心配で触れたつもりだった。
如何せん萱島の身体が敏感過ぎるのだ。
そっと曲線をなぞるだけで、喉元から全身が戦慄いた。
「ん、や」
それで熱い吐息を出されたら、戸和の手は自然箇所を摘んでいた。
殊更に高い鳴き声を漏らす。
声色がまったく昨日と同じで、普段からは想像もできない痴態が次々とフラッシュバックした。
遂に萱島は目を覚まし、現状にびっくりして瞬いた。また内からじんじん熱く、変な息が漏れる。
「ぁ…ぃ、いず」
恐怖を覚えたら、もう反射の様に彼の名前を呼ぶ。
しかし視線を巡らし、根源が当人だと知るや、見る見る顔を赤くして途方に暮れるのだった。
「お早う、良く寝てたな」
「う、うん…っあ」
返事をするやそこを突かれる。カタカタ身を揺らしながら、萱島は懸命に相手の手へ縋り付いた。
「い、いや…だめ」
「別に良いだろ休みなんだから」
そういう問題じゃない。時折妙な常識を持ち出す子供が唇を噛む。
良い朝からこんな不健全に、そんなやらしい事に感けてしかも昨日からずっと。
「か、からだが変なことになっちゃう…」
「…何?」
布を退けて噛み付こうとしていた矢先、今日も意図せぬとんでも発言に動きを止めた。
「変ってどんな?」
「ず、…ずっと熱い」
じっと下から本人は恨みがましいのだろう、涙を湛えた目で見上げてくる。
身体を震わせながら、そんな理由で止めろと言われても。
「…お前もう外出なくていいよ」
青年の方は、別な所に不安を抱いたらしかった。
きょとんと不思議そうにしている。生き物を押さえつけ、柔らかい首筋に噛み付いた。
「ひっ、ぃ、いたあ…」
一気に両目から水が零れた。知らぬ間に加虐心を呷る体質は、稀にこうやって理不尽に歯を立てられる。
「…か…噛まないでよ」
次こそ嗚咽を漏らしそうな萱島を見据え、今しがたついた歯型をゆっくり舐め取った。びくびくと患部から戦慄き、あられもない声が漏れる。
なんて簡単な存在。
恐ろしいほど、こちらの好きな様に出来る。
「シャワー行くからシャツ脱ぎな」
「っえ、…自分でいく」
「駄目、ひとりで綺麗にできないんだから」
何処の話をしているのか、考えて行き着いた萱島は、ぐっと熱に苛まれ眉を寄せた。
「…いやだ、そうやって結局中で…色々、」
「色々?何」
「んー…」
ぐずってべそべそと首元に縋り付く。柔らかい身体がくっついて、甘い匂いに青年が目を細めた。
「…いじめないで」
肩口に顔を埋める。くぐもった声と必死に抱きつく手。
「虐めてないよ」
「だっこして、ぎゅうがいい」
最近、やっと憚りなく甘える様になったから、考えたままの要求を口走る。
掴んでひっつこうとする、小さいのを腕の中へ抱き竦め大人しくさせた。
「今日の予定は?」
「…買い物。公園のところに新しいお店ができたんだよ」
「パン屋?」
即刻で返った正解に、腕の中の生き物が呻いた。
自分だけが発見したと思っていたのだ。
密かに教えるのを楽しみにしていたのに。
「じゃあお昼買いに行くか」
「うん!…さきにシャワー使…っう…あれ、ちょっと」
抱き締めたまま、無いに等しい体重がひょいと持ち上がる。
「お、おろして…」
「シャワー浴びるんだろ」
暴れる元気もない身は、落ちないように縋るだけで、結局バスルームに放り込まれた。
直ぐに嬌声のような悲鳴のような、切羽詰まった声が反響する。
彼らが支度を整え、漸く家を出たのはそれから優に2時間後のことだった。
光がじゅうじゅうと表皮を焦がした。
穏やかだった太陽が様変わりして、全身に夏を知らせていた。
2人木陰を選んで、公園までの道のりを伝う。
其処までの工程を楽しんで、目的が一番でない、プライベートの11時。
萱島は歩く度、夏と書かれた宝箱を開けていた。
最盛期を迎えた緑、地上に登り始めた蝉、世界をかき回す風ですら珍しく、彼を輝かせる。
大きな瞳がキャンバスのよう。
戸和は特等席で、次々と様変わりする名画を見詰めている。
「いずみ」
急に道端にしゃがんだかと思えば、今はまっさらな白が此方を見返していた。
「これ死んじゃったの?」
何かを拾い上げる。手中を覗きこんだら、蝉の抜け殻が転がっていた。
「抜け殻だな」
「中の蝉はおっきくなったの?」
「そう、成虫になってお前の頭上を飛んでるよ」
嘗て誰もが掴んだものを、何も知らないのだな。触れる毎に実感し、そのたび青年は親切丁寧に答えてあげた。
まるでもう一度、生まれてからやり直すみたいに。
何十回目と迎えた夏に、初めて彩色を乗せてやる様に。
「じゃあ…あと7日経ったら死んじゃうんだね」
ざっと、特有の湿った風が吹き荒れた。
大樹を攫って脚元を色濃くし、一寸何も輪郭がとれない闇になる。
一週間という彼らの生涯に宛てがう。途端、急に自らの先が途方も無い永遠にすら思えてしまった。
この吹き抜けた果てのない小道と重なる。目前に立つ互い、連なる巨大な影。
汗ばむぬるさの中、相手の姿だけがオアシスの如く存在を放っていた。
「…もう行くよ、沙南」
小さな肩を押す。
今を後に、この次の瞬間の世界へ歩く。
萱島は従順に歩を進め、ついてきた。
「あと世界は何年あるのかな」
時折子どもと同じだ、知識では答えられない問いをくれていた。
「いずみは何時まで一緒に居てくれる?」
ダイヤモンドの鉱石でできた、何の不純もない目だった。
使い古された常套句が喉を滑りかけた。
在り来りな答えを吐くのが嫌で、戸和はつい、はっきりと沈黙を作り出していた。
湿度を包んだ風に煽られ、萱島はじっと動かぬ瞳で相手を捉えている。
何時迄も、一生、死んだって、また転生した所で。
ずっと、例えばこの蝉になって、7日で終える役目だとして。
「…わかんないよね」
未来を断言できてしまったら、それは神さまだから。
どうしようもなく真面目で、律儀な青年を困らせた。自覚して、萱島は空気を戻すように口元を綻ばせる。
今日も沢山新しい発見をして、君と分かち合った。
過去形でしか語れなくとも、十二分に素晴らしいことだった。
「沙南」
いつも名前を呼ぶ時、殊更優しくなるんだ。
不意に目元を歪ませた萱島の手を、大きな手が横から掬い上げる。
「言葉で今まで、何回でも言ってやっただろ。それでも不安ならずっと離さず掴んでな」
絡まる指が体温を呼び覚ました。
居場所とばかりに確固として捕まえる。力強さに、思わず黙って握り返していた。
どうして今まで閉ざしていたのか。
時が再開した様に、一斉に背後から蝉の唄が降り注ぐ。
明後日まででも、明日まででも、消滅まで番を探し続ける、彼らのがむしゃらな声で夏は幕を開けていた。
「…ありがとう」
佇んでいた影が木陰を出る。
次の影へと、全貌の見えない道の上を。
「パン屋さん、いっぱい買っても怒られないかな」
「好きなだけ買えばいいだろ。喜ばれるよ」
「ふふ」
そっと伺う。
掴んだ先の彼という、自らのすべてを。
(今をずっと覚えておこう)
だって君の居る、現在が最高なのだから。
明日地球が終わってもいいよ。
うそ、やっぱり終わらないで。
まだ歩いてたい、この先。陰る脚元でも、となりで歩幅を合わせてくれる
神さまよりも絶対の、
君と!
(2017.5.30)
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