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本郷さんとおかいもの

ピンヒールを鳴らす女性、持ち家が3つは有りそうな婦人、姿也は違えど一様に振り向く。 ちょっとお高いスーパーの一角、顔から姿勢から何から美しい男が去ってゆく。 熱を孕んだ、と言えば語弊のある、いっそギラギラと生涯の獲物を見つけた雌の瞳。 萱島は息を切らしながら彼を追い掛け、スーツの袖を引っ掴んだ。 「…本郷さん!」 「お、何だどうした。デザートか」 「違う…!こんな魑魅魍魎が犇めいているのに…1人で歩かないで!」 字面に間の抜けた顔をされたが、先からの視線が分からいでか。歯痒そうな萱島を他所に、彼は此方の荷物まで持とうとした。 「それも自分で持つから!」 「お前、ほんと俺に甘えないよな」 「…だから何?変な気遣わないでよ」 他が聞けば仰天しそうな殊勝な台詞で、萱島は逆に相手からカゴを奪い取った。 序でに手を握ってやれば、置いてけぼりのギャラリーが分かり易くざわめいた。 其処で指咥えて見てろ。 肉食な手合は経験則、ロクなものでない。 「あーあ、遥にはあれだけ好き勝手する癖にな」 「そうだ、社長とさっき何で喧嘩してたの」 「喧嘩なんてしてないけど」 話題をすり替えたつもりが、3行と続かず途絶えてしまった。 掴み合いしておいて、いざこざ以外の何物でもない。 でも確かに。逐一突っ込んだらキリがないのだった。 どうせドアを足で閉めた社長を注意したとか、何か目障りだったとかゴミみたいな原因に違いない。 「してないが、目障りだよな」 ほら見ろ。 「じゃあ一緒に住むの止めたら良いじゃないですか」 「そしたら俺が出てくか、アイツが出てくかで揉めるから」 「あー…」 想像した。面倒くさくなってきた。 自分で振っておきながら、この件は通り過ぎる事にしよう。 「萱島、萱島」 「はい?」 「見てみ、カニ」 寧ろ、そっちが子供みたいに嬉々と手を引かれた。 視線を移せば成る程、あの名所の如く蟹が四肢をゆらゆら蠢かしている。 「ああ、ほんとだ」 「お前さ、前から思ってたんだけど、俺と居る時の冷め方何なんだよ」 「ええ…」 否、萱島とて毛頭冷めているつもりは無かった。 最近まるで言われた覚えのない言葉に、つい目があっちこっちを行き交う。 「遥と居たら、お前四六時中走り回ってたって聞いたぞ」 「は、走り回ってなんか無いやい…大体本郷さん、危なっかしくて手え離すのやなんですよ。変な女性に誘拐されたらどうするのさ」 「お前がそれを言うのか」 食い気味に反論した。 本郷が正論を呟いたが、知ったことではない。 なお、結局双方とも、社長を媒介に情報共有していたらしい。 「…とにかく、俺は貴方を保護すると決めたんです」 「なにそれ」 「お会計も全部出しますよ、社長のカードだけど」 「アイツのかよ」 ぼやく萱島の視界へショートケーキが舞い込む。 今日はいちごとカスタード。色味と季節感も相まって、余りの魅力にぼうっと見詰めてしまった。 「あっ」 横から本郷が何も言わず取り上げる。 そんな欲しがるまま買っていたら、自分で言うのもアレだがカゴが一杯になる。 「ちょっと…なん、何で勝手に入れないでよ」 「知らない。お前欲しくても言わないから」 「ねえ、本郷さんってば」 拗ねた。 悄然と眉を下げ、背を向けた相手を追い掛けた。 結局知らない間にカゴも取られて、掴んでいた手は剥がれていた。 普段下らない話が続く2人の間に、ちょっとめずらしい沈黙が生まれる。 別にまったく、蔑ろにしてる訳じゃない。逆なのに。 いつも気に掛けてくれる彼がこっちを向いてくれないのが、途方も無く哀しい。 「怒んないでよ、ごめんね…」 一体何に対しての謝罪か、当人も分からず吐いてしまった。 ちらっと前の彼が横目で振り返る。 「怒ってないよ」 「…じゃあ先々いかないで」 「分かった」 「あと、手ももっかい繋いで」 「いいよ」 大きな手が再び絡み、萱島は安堵にきゅっと唇を噛んだ。 おかしい。またこっちが我儘を言う側になっていた。 足掻いたって、最後は向こうが上手だ。 勝てやしない。 温かい手を握って、ふと彼の娘はこんな気分かと、ぼんやり羨ましくなった。 いっそ子供だったら、憚りなく甘えられたのに。 (でも今はこれで十分かな) 「あ」 乾物コーナーの前で携帯を見ていた本郷が、俄に声を上げた。 弾かれた様に顔を上げる。 何ぞ急用でも出来たか。 「…美咲」 違った。なんてタイムリーな出現だ。 メールでも届いていたらしい。スクロールしていた彼の手が止まり、前触れもなく携帯を滑り落とした。 「えっ、ちょっ」 慌てて手を出した萱島が受け止める。 何だ何だどうした。凍って動かない彼を揺すったが、見事に反応がない。 仕方なく断りを入れ、手にした携帯を覗き込んだ。 『パパ聞いてぇ(*´ڡ`) みさき生理きたよぉ~☆☆ ぃつ えっち する~~?? はやく返事してね⤴⤴ まてなぃょ(ノ*'ω'*)ノ』 思わず萱島も携帯を放り投げそうになった。 恐ろしい。恐ろし過ぎる。 他人でも震えが止まらないメールに、青褪めた父親をゆっくりと振り返った。 「…その、何ていうか…元気そうで何よりというか」 次に会ったら押し倒されるなこれは。 上手い慰めが浮かばず、探り探り場を繋げようとする。 「お、お母さんに…そっくりですね」 地面を睨んでいた顔を上げ、見たこと無い形相でこっちを見ている。 ちっとも探れていなかった。最もいけない箇所を踏んだ。 目元を覆った本郷を前に、ぎょっとして必死に取り縋った。 「ごっ…ごめん本郷さん、泣かないで…!変なこと言ったから泣かないで、ごめんね!」 「大丈夫、全部自分で巻いた種だから」 いやまあ身も蓋も無い話をしたらそうなんだけど。 買い物客の視線を引いている事も忘れ、おろおろと珍しく宥めに頑張る。 とりあえず帰ったらケーキははんぶんこしよう。 それならやっぱり隣にあったタルトにしたら良かったな。 上の苺を彼は、確実に自分へ譲ってしまうから。 (珍しいさなちゃんの献身)

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