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(memo-7)
「沙南ちゃん何してんの」
台所でトマト缶を相手に奮闘していると、背後から物珍しそうに神崎が覗き込んでいた。
「パ、パスタ」
「お前が?料理?ふーん」
珈琲を手に、ダラダラその場へ居座る雇用主に、萱島はトマト缶を庇う様に向きを変えた。
ここ最近、神崎と生活を共にしてやっと学んだ事がある。
向こうから話し掛けてくる時は、大抵ロクな展開にならない。
「開かないんだろ、開けてやろうか」
「いらない」
「お前包丁使えんの」
萱島は嫌な顔をした。
いつもは自分が無碍にされるが、この日は何故か逆転していた。
なんせ暇になると余計な悪戯しか働かない。
例えばレンジを5分長くしたり、徐ろにパニック映画を流し始めたり、物理的にほっぺたを抓ってきたり。
要はペットを構う感覚と同じなのだ。
そっぽを向く子供を、勝手な大人は不思議そうに見ていた。
「ちゃんと塩入れろよ」
「…うん」
面白いことに。話し掛けられれば話し掛けられるほど、悄然と萱島の眉尻が下がっていく。
テレビでも付ければいいのに。
そもそも何処か出かければいいのに。
無駄に友人は多いのだから。こういう時に会わなくてどうするんだ。
「炒めるから向こう行ってて」
「何でだよ」
「社長がこの前、知らない間に醤油でいっぱいにしたからじゃんか!」
つい食って掛かかるも、あったなあそんなことなんて。何処吹く風で、しかし気紛れに踵を返す。
力んでいた肩を下ろして、萱島は再びフライパンへ向き直った。
炒めるのも下手くそなもので、中の物をぐちゃぐちゃとかき回す。
これでもマシになったのだ。
だから回数をこなせば、1人で昼食くらい何とか出来る筈だった。
(あんまり美味しくない)
完成品を口に放り込んだら、何だか調味料そのままの味がした。
レシピの通りに作ったのに。料理は科学というよりも、センスを要する芸術方面にすら思えた。
「沙南、俺出掛けるからな」
もそもそ冷めかけた物を咀嚼していたら、背後から神崎の声が降って来た。
結局いなくなるらしい。
そう言われてみれば急に寂しくなるが、どうでも良くなって生返事をした。
上着を来た相手がリビングへやって来る。
食欲の塊が皿に残しているのを目に、首を傾げていた。
「何だよ失敗したのか」
「うん」
ぼうっとしていると、急に皿を取りあげられた。
虚を突かれている間に、神崎がフォークを掴んで失敗作を巻いていた。
「…しゃ、社長、だめだよ」
びっくりした萱島が腕を引っ手繰るも。
構わず口にした神崎は、既に次を巻いていた。
「美味しくないよ」
「美味いけど」
呆然と佇むのを放ったらかして、残したパスタを見る見る消化していく。
発せられた感想に耳を疑った。
急に何処を見ていいかも分からず、視線を床に落として押し黙る。
その間に神崎は全部処理してしまった。
本当に美味しくなかったのに。
突然優しくされたものだから、萱島の視界がじわりと歪み始めた。
「…待て待て、何を泣いてんだお前」
「しゃちょうが全部食べた…」
「失敗したんなら別に良いだろ、材料買ってきてやるからもう一回作れよ」
そんな問題じゃない。だって美味しい訳が無かった。
なんで美味しいって言ったんだろう。
考えれば考える程、嬉しいような切ないような、泥濘へ溺れるような。
駄目押しに頭を撫でられたから、殊更にぼたぼた床を濡らしてしまった。
(社長と沙南ちゃんのコンセプトは少女漫画です)
「神崎に尋ねてみたぁ、何処まーでいくのかと」
「いつになれば終えるのか~とぉ~」
簡易ステージからは、評価し難い替え歌メドレーがぐわんぐわん飛んでくる。
既に日付が変わろうという折、いい若い者がこの世の不条理を嘆いている。
みな疲れているだろうと配慮して、せっかく雰囲気の良い個室を抑えたのに。
前世の職業病からマイクを握った間宮により、会場は一気に東新宿にテレポートしてしまった。
「未だ乾杯前なのに…」
来店15分でこの混沌。
定期飲み会(と称した不定期)に引っ張りこまれた萱島は、隣で業務メールを送る雇用主を引っ張った。
「早く良識という名の本郷さんは来ないんですか」
「まあ待て待て、来るから。東名高速渋滞してんだよ今」
「何でみんなこんな阿呆みたいに元気なんですか?半期報終わった所でしょ」
「馬鹿だなお前、ジャパニーズカルチャーを知らないのか」
人生の半分大国に居たハーフに言われたく無い。
萱島とて幾度と無く酒の席は経験したが、正直学生の齢と共にする空間は初めてだ。
この溢れるパッションは、日頃のフラストレーションからの変換なのだろうな。またプロレスが始まらないか、人知れず気を揉む。
そうこうしている間にも酒が運ばれ、開始の段取りが整った。
お子様にオレンジジュースを押し付けるや。徐ろに神崎が立ち上がり、壇上の間宮からマイクを引っ手繰った。
「えー、君達。一先ず半期報ご苦労。今日は直ぐに乾杯と行きたい所ですが、その前に報告があります」
「何だついに裁判所に呼び出されたのか?」
「お陰様で当社の純利益も、設立から連続増を記録しておりまして」
「お陰様でとか口に出せたんだな」
「4年後までに支店を構え、海外進出する予定です」
萱島ですら知らん事実に口を開けっ広げた。
しかもいきなり国外か。確かに予てから海外の調査案件も受注していたものの。
「さて、日頃社長の居ない所で悪口ばかり言ってる君達に伝えておきます」
「居る所でも言ってるよ」
「目に余る奴から支店に飛ばすからな。特に間宮」
この牧場主、記念すべき支店を脅迫ネタにしたな。
もう色々文句言いたい。でも言えない。
暗雲立ち込める一帯を放ったらかし、神崎が底抜けに明るい声を出した。
「まあそんな事はさて置き納品良く間に合ったな、健気に尽くしてくれるウチの家畜にカンパーイ!」
「…乾杯ー!帰り道後ろに気をつけてね!」
珍妙な音頭で飲み会の幕が開ける。
副社長の代わりに素面でいようと誓うや、萱島はちびちびとオレンジジュースを啜った。
(続けば続く)
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