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青天の◯◯

「降りろ、もう今日という今日は許さん」 その台詞、確か同居した日数分聞いた覚えがある。 「指図してんじゃねえ、お前が降りろ糞ったれ」 洋画の吹き替えみたいだな。 大層険悪な空気の中、萱島は一人阿呆らしさに頬杖をつく。 もうマンション手前数メートル、漸く出張から戻れたと思いきや。 国道を越えた辺りで「存在が目障りだ」などと騒ぎ出し、口を挟む隙もなくまるで中身の無い応酬が始まった。 「…ねー、本郷さん」 聞こえているやら知らないが、窓から顔を出した萱島を気にも留めない。 路上で半ば掴み合いを始めたバ…2人に、呆れて背凭れへ身を投げた。 置いてさっさと帰ってしまえば良いのだが。 如何せん、このマンションの手前である。 放置すれば何時の間にやら四方から油が注がれ、一層面倒に爆ぜるのが目に浮かんだ。 それにしてもお腹が空いた。 ぼんやりしていたら、矢庭に大きな音がお空を過ぎった。 首を擡げ、底抜けに青い頭上を仰ぐ。 (ヘリだ) 1機、2機。 随分高度を下げているが、まさか此処いらに用事でもあるのだろうか。 その形状に良くない疑念を募らせていたら、知らぬ間に道路を抜けようと国産車が迫っていた。 黒い車体は背後で静かに停まり、白熱した両者が漸く向きを変える。 あ。 萱島はすっかり間の抜けた面になっていた。 そして不意を突かれた件の2人も。 「…公道塞がないでくれる?」 白衣の男が後部席のドアを押しやる。 細い眉を寄せる彼に、大きな悪童らは掴み合う手も離し、恰も疫病神に対する様な目で刺していた。 「おい嘘だろ、家の前に大量破壊兵器が」 「君達、今年でいくつになったの。いい加減恥ずかしいからさっさと家に帰りなさい」 「何だてめえ、まさかそんな説教する為に来たんじゃあるまいな」 突然の御坂の襲来に、車内の萱島ですら四方を伺う。 先からやけに低空を周回してる鉄塊はそれか。偶然出会したということは、さて此処が目的地では無いのか。 「萱島くん元気?」 隣へ現れた医者が微笑んだ。 何かヘリのキャビン辺りが光った、気がする。 「…はい」 「お菓子あげよう」 わーい。率直に飛びつき、喜々として彼の手ずから飴を貰う。 地面に幾つかレーザーポインタが動いたが、意に介さず包みを開けた。 慣れとは。 「君はいい子で可愛いねえ、あんな程度の低い大人を見習うんじゃないよ」 萱島が褒められる例なんて希少だ。 恥ずかしそうにほっぺたを赤くして、車の隅へ押し黙る。 「さっきから上が五月蝿いのはお前か、近所迷惑なんだよ。そっちこそ帰れ」 「本郷くん、今の台詞僕の目を見てもう一回言ってごらん」 「…何?やめろこっち見んなお前、目つき悪いんだよ」 よもや先まで喧嘩していた神崎を盾に押し出す。 中学生、いや小学生。 呆れ返った御坂は注意を諦め、やっと本題に言及した。 「まあ迷惑を掛けてる件は謝るよ。なんせちょっと出歩くだけで馬鹿みたいに人件費が掛かってさあ、君達の血税を思うと胸が痛ましいったら」 「引き篭もってろ良いから」 「君ん家のマンション分譲でしょ?入居率どのくらいなの」 その質問の意図は何だ。 薄いレンズの向こうで、人の物かも怪しい目が建造物を捉える。 築年数、立地、面積、トータルの資産価値を恐らく瞬時に値踏みしている。コイツ。 「待て待て…落ち着けよ。あんな物件買収した所で、俺への嫌がらせになるだけだぞ」 「いや買収じゃなく更地にしようかと思って」 「さらっと恐ろしい事を言うな。教え子の家を焼き払う気か」 「あっはっは、君に物教えた覚えないんだけど」 ロケーションは最高なのに、人が寄り付かないのは治安の所為か。 周囲を放ったらかし、顎に手をやった御坂が考え込む。 いっそアウトローは全て御暇して頂いて、導線の強いダウンタウンとして再開発すれば逆行列係数表・直接効果から求めた第一次波及効果は約0.8兆円。 その後雇用者が所得を得て消費需要が発生するまでの間に商業施設の補填を完了させ、生産誘発額×雇用者所得係数で求められる所得誘発額は 「御坂せんせー、携帯鳴ってる」 窓から身を乗り出した萱島が遮る。 「ありがと」 頭を撫でると、嬉しそうに目を瞑った。 全人類がこれだけ純真なら世界は平和なのに。 「何、どうしたの」 電話に応答するや、使えない部下が息せき切って報告を垂れ流し始めた。 要点にすれば10字に満たない物を、毎度頭が痛くなる。 「長い。切るよ」 最後に断末魔が聞こえた。 どうせ大事なら降りてくるだろう。容赦無い遮断を目の当たりに、また部下を虐待しているのかと周囲は同情を浮かべたが。 「じゃあもう行くけど、二度と戸籍を剥奪されたくないなら分別ある行動を頼むよ」 「…お前こそフラフラ出歩いて死人を量産するなよ」 「あはは、ごめんごめん。萱島くんもまたね」 自分にまで手を振ってくれた。会話の内容はさて置き。 こちらには終始柔らかい所長に、萱島は笑顔で手を振り返す。 御坂が乗り込むや国産車は発進し、神崎らの脇を擦り抜ける。 そうして何事も無かったかの様に道路を滑り、消失点へ吸い込まれて見えなくなった。 「わー疲れた…何今の」 「日本危険過ぎるだろ。さっさと家帰ろう」 最初からそうすれば良いものを。 だるそうにしていた萱島は、しかし突然口の中で弾けた飴玉に身を竦ませた。 ぱちぱち跳ねる感触が予想外で、慌てて握り締めていた飴の包み紙を見やる。 (どこのメーカー…) 確認する動きが止まった。 包み紙の内側には、薄い紙が挟まれていた。 “明日、首都高速は使わないこと” 短いメッセージを見取り、炭酸に同じく何度もぱちぱち瞬きをする。 「どうした沙南、青酸カリでも入ってたか?」 「社長、御坂先生偶然じゃなかった」 相変わらず気味が悪いほど用意周到だ。 ただ主目的は他にありそうだから、察するにこれから現場で一悶着やらかすのだろう。 尚、翌日萱島がテレビを見ていたところ。 突然ニュース速報がアニメへ割って入り、“未曾有のテロ”等と業業しいテロップがおどった。 思わずラーメンを啜っていた手を止める。 臨場感溢れる中継映像を覗き込むや、矢張りと言うべきか、首都高速の彼方此方が白煙を上げてパニックに陥っていた。 つまり事前情報を掴んで、一応は忠告を寄越してくれたらしい。 助けてくれたにせよ、なんせ背後が黒くて関わりたくなさ過ぎる。 暫く遊びに行くのは控えようと戒め、萱島は無言で冷めかけた残りを啜った。 ----------------------------------- リメイク版の御坂先生はぐう聖の大天使様ですが、本編はぐう畜の歩く大量破壊兵器です。 多分4千年くらい生きてます。

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