33 / 46

其方の君は幸せだろうか

※クロスオーバー 初冬にそぐわぬあったかい風が吹いて。 引き摺られる様に、通り過ぎた先を向いていた。 寄り道途中の萱島の視界。 同年代であろう男が背中を向け、ベンチに腰掛けて煙を棚引かせる。 いつから其処にいたのか。 随分前から居たような態度で。 しかし知らない街の人間のように、景色から浮いた匂いに包まれている。 (赤い髪) 風に攫われた毛色を見て、訳もなくふらふらと近付いていた。 青い空の午後。 暑くも寒くもない。両者を邪魔しない天候の中、不意に相手が面を上げ、萱島は無意味に肩を跳ねさせていた。 「こ、こんにちは」 声を掛けてみる。 この平成の世であれど、見ず知らずの人間が寄れば誰しも警戒する。 然れど青年は煙草を咥えたまま、愛嬌のある笑みを湛えた。 萱島は安堵し、興味本位から話を繋ぎ始める。 「何見てるんですか?」 「ああ、川ですね。ご覧の通りの天気ですから、水面に跳ねりゃ光るんじゃねえかと」 「光る?」 「存知ませんか、鮪が泳いでるんですよ」 「鮪」 予期せぬ情報に固まる。 2、3瞬いたかと思えば、萱島は次には騙されやすい性分から眼下の川面を覗き込んでいた。 「…鮪って海水なんじゃあ」 「それがとある大学が、淡水で生きられる鮪の養殖に成功したんですと」 「何だって、知らない間にそんな革命が起きていたとは」 柵に身を乗り出しては、男のホラにしみじみ浸っている。 萱島も萱島ならば、それを何食わぬ顔で傍観している相手も相手だった。 携帯灰皿に煙草を収め、彼は尚も柵から離れない萱島を愉快そうに見ている。 身なりはスーツで、仕事の帰りだろうか。 徐ろに懐を探り、携帯電話を取り出す。 それから画面を灯し、何かを確認してはため息を吐いた。 「どうかしましたか?」 敏感に振り返った萱島が、問題事かと心配を乗せていた。 他人の癖につい首を突っ込んでいる。 否、実は他人の心地がしなかった。 男の醸し出す底なしの緩さを緩衝材に、2人の間には何ら不協和音が発生し無かった。 「いえ、どうも電波の調子が悪いらしく」 こんな開けた場所なのに。 自分の物を貸そうかと探って、生憎車に忘れてきたのを思い出す。 「まあ…大した話でも無いのでノープロブレム」 「ノープロブレム…」 「そんな事より兄さん、此処で会ったのも何かの縁だ。俺が墓場まで持って行こうとした、とっておきの話を聞いちゃいきませんか」 どういった類の話なのだろう。 それが万人に有益なのか、単なるこの男のトリビアなのか。 詳細も聞かぬ間に、好奇心の塊はベンチの隣へと陣取っていた。 「ぜひお願いします」 「良い返事だ。実は数年前、俺は白神山地で不老不死の男に遭遇しましてね」 「!」 「何とその男、聞けば徳川の血筋だと言いなさる。しかし自分ももう永くないから、俺に埋蔵金の在り処を託す等と」 「ん?…不老不死」 「俺は勿論だと手を握った。掘り返すなんざ無粋な真似はしない、ただ爺さんの秘密を持ってってやりたいんだと」 「その、大丈夫ですか通行人に話して」 「というのはまあ冗談で」 勢いで地面に突っ伏しそうになった。 何だこの野郎。 萱島が言うのも何だが、突っ込みどころが多過ぎて疲れてくる。 ちょっと息切れすら覚えた矢先、彼はふと会話を閉ざした。 焦点が川面のもっと遠くへ移る。 急な静寂に眉尻を下げ、萱島は倣って景色へ目をやった。 「…兄さんは会社にお勤めで?」 「あ、はい」 会話が再開する。 完全に相手のペースで、引っ張られつつも気は楽だった。 「何の会社ですか?」 「調査会社です」 「ほう」 彼が虚を突かれた風に目を見開いた。 それでも変わらず飄々としていたが。 「俺もなんですよ。これがまた可愛い部下が居ましてね」 「可愛い…」 部下が可愛いとは。 イメージしたくて、その単語が当て嵌まる人間を自分のホームでも考えていた。 戸和は先ず除外だ。 頼りになりはするが、正直可愛くはない。 寧ろ怖い。恐怖しかない。 次に千葉くんが浮かんだ。 可愛いと言えばそうだが、どちらかと言えば楽しい。 気さくでノリが良くて、まるで気を遣う必要が無い。 間宮を考えてみた。 増々可愛くない。 大体萱島が近づけば馬鹿にして、最近は殊更いじめてくる。 それならば。 いつも部屋着みたいなスウェットを来て、突っ掛けで歩くリーダーを思い出した。 頭も面倒見も良くて、その割に無邪気で、ゲームをあげたら子供みたいに破顔する。 (かわいい…) 頷く。牧は可愛い。 センスは最高にダサいが、あのチャーミングさは誰もが認めている。 「何でもかんでも気が良く回る奴でね、ほんと俺の右に常駐させたいくらい」 「物凄く良く分かります」 「へえ、そちらにも居らっしゃるとは。未だ若いんですか?」 「今年で22…だったかな」 相手の挙動が止まった。 空の一点を見据え、呟くように返事を落とす。 「…22か」 はて、そんな感慨に浸る年齢だろうか。 ただ相手の年齢から想定して、その可愛い部下とやらも同じ位の齢なのだろう。 「最近あんまり構ってくれないんですけどね」 いつの間にか自分も話し出していた。 萱島が唇を尖らせる。 「でも、この間おめでとうって言っただけで凄い喜んで」 「うん?」 「あ、その…誕生日だったんです、そいつの」 ざわざわと温い風が木々を波立たせた。 木の葉が飛んで、幾つか水面に吸い込まれた。 それを数えていられる程の間が在った。 今度こそ黙り込んだ相手に、妙なことでも言ったのかと萱島が気を揉む。 然れど何かを言う前に彼は立ち上がり、ベンチへ濃い影を落とした。 陽光に髪が梳け、萱島は余りの眩しさに目を眇めていた。 「…さて、楽しい時間を有難う御座いますミスター。俺はもう行かなければ」 「いえ、あの、此方こそ」 もう会えないのだろうか。 すっかり掴み難い人柄の虜になり、名残惜しげに萱島は彼を仰いだ。 「その部下、大事にしてやって下さい。そうだ…見ず知らずの人間からなんですが、これを」 言うや彼はジャケットを探り、先に使っていたジッポーを放った。 慌てて受け止めた萱島は、何と返してよいやら。 手中のものと相手と、何度も交互に見やり、みっともなく口を開閉している。 「ちょ、せめて、名前を…」 まるで暴漢から助けられた女性の如き台詞を言い掛けた。 しかしもう姿は遠く、片手を上げて往なすや、男はさっさと道路の向こうに吸い込まれて行く。 ああ、見えなくなる。 白昼夢の様に忽然と消え、ベンチにはもう影も形も無い。 ただし人間性は強烈で、僅かな会話が全て残らず記憶にこびり着いていた。 「…高そう」 掌のジッポーを見詰めて呟いた。 少し話しただけの他人だ。 増して顔も知らないその部下に、簡単にくれてやる様な代物では無い。 貰った方も困惑するに決まっている。 それから会社に戻った後。 一連の話と共にジッポーを手渡すや、矢張り萱島の想像通り、“可愛い部下”は間の抜けた面をした。 ソファーで寛ぎながら、律儀にゲームは中断する。 ジッポーと共に頻りに首を傾げ、牧は実に曖昧な礼を寄越してくれた。 「…うーん、うん…いや、それはどうも…有難う御座います?」 「なんか凄い独特な性格だった。良い人だけど」 「へえー…あ、イニシャル入ってる」 「まじで」 蓋の内側を確認した彼が、彫り込まれた文字を発見した。 ただの頭文字。 青年にとっては何ら意味は無いであろう物を、何故か気怠げな姿勢のままじっと見詰めていた。 その所作に、空の彼方を睨んでいた赤い髪の彼がオーバーラップする。 「…その人、他に何か言ってました?」 「ん?まあ、大事にしてって」 対象はジッポーじゃなくて、お前に向けた話だけど。 萱島はそこらで口を噤んだ。 用は済んだのだから、長居するとまた嫌われる。 それじゃあと去っていた萱島を見送り、牧は素性も知らない男からの貰い物を尚も眺めた。 イニシャルにも見覚えは無い。 普通なら何の思い入れもなく、寧ろ敬遠してしまっていただろうに。 「…何で少し、懐かしいんだろうな」 再びジッポーの蓋を開け、灯した火を視線の先へ掲げる。 蛍光灯に負けない圧倒的な赤。 分かりやすく映える唯一の色が、交わらない筈の胸の内を柔らかく温めた気がした。 (Egoist War × 本編クロスオーバーでした。 読んでない方には何の事やらでごめんなさい。お粗末さまでした)

ともだちにシェアしよう!