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HNY 2018

人の取り決めた暦が切り替わるだけで。 今日の夜は昨日と同様、何ら変わりない世界の筈だ。 扉を開けて踏み出した外界が、特別に思えるのは。 気の持ちようだけでそうなるのだろうか。 身の引き締まる空気に加え、年末年始特有の匂いを感じるのは、六感もしくは錯覚なのだろうか。 「…寒い」 「車のエアコン利くまで待てって言ったろ」 「だってもう年明けちゃうよ」 11時31分。 時計を見つつ、紛らわそうと足踏みをする。 吐く息が真っ白い。 自分で雲をつくっている様だ。 「雪降るかな?」 「この時期は未だじゃないか」 「そっかあ」 取り留めのない会話のち、戸締まりを終えた戸和が空いた右手をさらった。 2人連れ立ち、マンションのエレベーターを降りる。 扉が開けて吹き込んだ外界は、矢張りいつもより粛然と静まり返っていた。 「誰も居なかったらどうしよう」 「まあ、その時は初詣でも行けばいい」 未だ冷たい車に乗り込む。行き先は雇用主の宅だった。 挨拶も兼ね、久々に萱島が行きたいと言い出した。 もしかしたら友達から年越しの誘いもあったんじゃあ。 運転席のクールな横顔を眺めていたら、大きな手に前髪を掻き混ぜられた。 道路すらもがらんとしている、どちらも都内の立地であり、車を飛ばせば直ぐに着いてしまう。 相変わらず高々と聳え立ち、品のあるくせ物騒な気配がピリピリしたマンション。 仰々しいエントランスを潜り、今日くらいは喧騒を収めた根城の最上階を目指した。 いつもはこの辺りで、大概AVの撮影に出会すのだが。 表にみな正月のお飾りを出しているくらいで、廊下には人っ子一人居ない。 「先に連絡しといた方が良かったかな」 「お前はいつも勝手に上がり込んでたんだから良いだろ」 「そ、そりゃだって…前の住居ですもの…」 戸和が憚りなくインターホンを押す。 懸念を他所に、直ぐに副社長の応答があった。 良かった。 胸を撫で下ろす萱島の目前、ドアが開く。 「――びっくりした」 希少な休暇中の上司が現れた。 目を瞬いて一頻り観察した後、背後に退いて此方に入り口を開けてくれた。 「どうもお寒い中、よくいらっしゃいました」 「お休みのところ急にすみません副社長」 「いいえ。何、遊びに来たのか」 私服久し振りに見たなあ。 恐らく同様の考えを抱いていた、戸和と視線が合ってしまった。 RICが唯一休業を敷いた期間だ。 片時であれど、気を緩めて頂きたい。 「なんかアレだな、親戚が帰ってきたら結婚してたみたいな」 「けっ…」 「そうですね、来年くらいには」 「来っ」 「まじか。式場とか面倒くさいから早めに予約しとけよ」 ちょっと悲しい経験談すら耳に入らず、玄関口で突っ立つ。 年の瀬にとんでもない事を聞いてしまった。 そんな萱島を放ったらかし、彼らは和やかな会話を繋ぎつつ、リビングへと先立ってゆく。 そう言えばあの青年、副社長にはやたら懐いている。 すごすご後を追いながら、序に変わらない内装を見回した。 (実家のような安心感) 今更ながら、彼のいう“親戚”という例えが腑に落ちた。 ただ静かな空気に首を傾げ、奥の相手へ声を張る。 「本郷さん、社長はー?」 「どっか行ったけど」 どっかって。 リビングへ追いつき、戸和の隣へ座り込む。 珍しくテレビの電源が入り、画面いっぱいに渋谷の群衆が映し出されていた。 「アイツいつも居ないよこの時期。忘年会だか新年会だか」 「そっか、付き合い大変だね」 「違う違う、騒いで酒呑みたいだけ」 「ああ…そうなんだ」 真夜中のスクランブル交差点ではしゃぎ回る人々。 中継を眺めながら、うちの雇用主も割と同族なのを思い出した。 「半分アメリカンだから。根がパリピなんだわ」 「ウチは新年会やらないんですか?」 「やるよ多分…あ、そうだお前ら蕎麦食べてってくれ」 完全に親戚の家だ。 確かに未だだったが、返事も待たずにキッチンに消える辺りも完璧に身内の対応だ。 「歳暮が余り過ぎてて、あとその辺のお菓子とかも全部食べていいよ」 「わーい!」 「…宜しいんですか?かなり値が張る物が」 「いいよ別に。寧ろ歳暮の時期は勝手に入って持ってって。鍵要るならあげる」 オープン。物に執着が無くなる病は、一緒に住んでると伝染するのだろうか。 「わーいおいしい」 「もう食べてんのかお前」 「お菓子で喜ぶなんて可愛いよなあ、本当。俺の娘なんかこの前クリスマスに欲しいもん聞いたら…」 蕎麦をよそう上司が些か重い話を始めた時。 俄に玄関で音がして、錠が外れる気配がした。 「げ」 「…社長帰ってきた?」 「その様で」 「早えな、未だ12時前だぞ」 既にごっそり中身の無い箱をその場に、萱島はてくてくと玄関へ向かう。 電気の点いた中、帰宅した神崎が靴を脱いでいた。 萱島に気付くや怪訝に顔を上げる。 ひんやりと外気を纏った姿を、矢張り嬉しさは禁じ得ず出迎えた。 「社長、おかえり」 「…ん?何だお前」 浴びる様に呑んできたのかと思えば、面は普段と変わりない。 ただ何故か、相手は急に億劫そうにその場へ座り込んだ。 「まあ丁度良かった、寿司買ってきたから食べな」 「あ、はい」 「いやー明けたなー今年も」 「…未だですけど、中入らないんですか?」 様子見に来た戸和が眉を顰めて問う。 「うわ、お前まで居たのか」 「お邪魔してます」 「なら早いけどお父さんがお年玉あげよう…あ、待て、ピン札無いわ。義世に貰ってきて」 かんざきは どうやら よっているようだ。 面倒な大人に遭遇した心地で、部下2人はちょっとげんなりする。 「…何処で呑んでらしたんですか?」 「今日?今日は沙南ちゃんの実家。そうだお前、黒川さん顔出せって拗ねてたぞ」 「ええ、年末にそんなとこ行ってたの」 思い出せば去年もそうだった。 因みに元旦は海外に行ったっきり連絡が取れず、正月の挨拶も7日に漸く済ませたのだ。 そうこうしている間に、時計を見れば今年も残り1分足らずだ。 こんな玄関で年越しする羽目になるのか。 別に拘りはないが。せめて年越し蕎麦は年内に食べきりたかったのに。 「社長もう年明けるよ」 「アメリカじゃ未だだから」 「未だだから何?」 「分かった分かった、カウントしてやるよ。まったく年明けの何が目出度いんだか」 今まで呑み散らかしてた人間がよくも。 もうつっこむのも面倒な2人が傍観する先、腕時計を見詰める神崎が黙り込む。 「……」 「社長?」 「駄目だ眠いわ、おやすみ」 「社長…」 何だこの大人。 絶句する部下を差し置き、壁に凭れた雇用主が静かに眠りに落ちた。 放棄されたカウントダウンは無音で進み、感慨もなく頂上を通り過ぎる。 ボーンボーン。心の中で除夜の鐘を鳴らし、萱島は一先ず隣の彼に挨拶を告げた。 「…いずみ明けましておめでとう」 「おめでとう」 「本郷さーん…社長寝たー」 キッチンに向かって叫べば、案の定「放っとけ」とぞんざいな指示が下る。 しかし放っといて良いものか。逡巡している間に、蕎麦の器を持った本郷の側が現れた。 「ごめんなゴミみたいなゴミで。ドア開けてゴミ置き場に捨ててくるわ」 「本郷さんおそばここで食べていい?」 「え、何で」 「社長かわいそうだから」 「確かに可哀想な大人だけれども」 まったく何がどうなって。 玄関で地面に腰を下ろし、熟睡する雇用主を前に蕎麦を啜る絵面が出来上がった。 納得行かないまま器を空にした本郷が、先から鳴り止まない電子音に眉を寄せる。 「…うるせえな」 「社長の携帯だ」 勝手知ったる萱島が、雇用主のコートを無遠慮に漁った。 無駄に友人の多いこの男のこと、時候の挨拶は絶えないに違いない。 「そういや初詣何処行くの?」 「もう近所で済まそうかと」 「それが良いよ。人混みって体調崩しやすいし」 背後で穏やかな会話が続く。 一方携帯を発掘した萱島は、液晶に映る発信元に思わず声を上げていた。 「どした?」 「牧だ」 「ほんとに。プライベートで電話してくるんだな」 まあ今日故か。代わって応答するや、何となく気持ちが昂ぶって喜々と応答した。 ちょっと意表を突かれた相手が、それでも律儀に定形の挨拶をくれる。 こんな夜中に色んな人と話せるなんて。 矢張り特別で、1年に一度きりの日に違いない。 「本郷さん、牧も誘っていー?」 「どうぞ。牧だけ?」 「なんか千葉くんとかも居るって」 「誘っても来ないだろ多分」 戸和が冷静に指摘した通り、誘い文句を早々に突っぱねられた。 口を尖らせ、いつもの仕返しとばかりに雇用主の頬を抓りながら萱島は引き留めに掛かる。 「ほんとにぃ?面白いよ今来たら、戸和もいるし」 「あ、あとお歳暮あげるって言っといて」 だから親戚。 放っといたらお年玉を配り出しそうな上司に呆れながら、結局暫く12時の会話は続いた。 今期も無事に変更線は跨いだから。 もう少ししたら、雇用主を起こして初詣に行かなければ。 未だまだ遊んでも許される一年の誕生日。満足気に電話を終えた萱島は、一先ず器を差し出しお代わりを請うていた。 (2018/1/1) 明けましておめでとう御座います、本年もRICを宜しくお願い致します。

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