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Good medicine tastes bitter.
※以前memoでかいちゃったんですがお風邪話
※しゃちょうとイチャイチャしているよ
「おう」
びっくりして漸く温めた布団を蹴飛ばしていた。
半端に半身を起こし、まるで幽霊にでも出会した様子で萱島が目を瞬く。
「お前薬飲んだ?」
何故か真っ昼間に自分の部屋に居る。
鞄もコートも引っ提げた神崎が、なにやら勝手にリモコンを拾って空調を調整しているではないか。
「え、え」
「寒いよこの部屋、もっと厚着しろよ」
「なに、どうしたの」
「どうせ朝から何も食べてないんだろ」
此方の戸惑いなど構いもしない。
さっさとベッドへ距離を詰めるや、雇用主は隣へ腰を下ろす。
ひやり、とその身から僅かに外気が伝わった。
次いで冷たい指が首筋に触れ、思わず肩を竦めてやり過ごした。
「…あっつ」
何だ何だ、一体何をやらかしに帰ってきたんだ。
熱で動けない為体を笑いに来たのか。罵りに来たのか。
日頃の仕打ちから警戒心を丸出しに、じっと出張帰りであろう男の面を伺う。
ともすれば他に雑用があったのか。
なんせ目の色素が薄い弊害らしく、神崎は先ず好き好んで昼間に出歩かない。
会社を地下に押し込めたのもそれが理由なのだから、自分が熱を出した如きでのこのこ帰ってくるとも思い難い。
「風邪なら良いけど、明日下がらなかったら病院行くぞ」
「…うん、いってくる」
「義世が午後なら車出せるから。お前道覚えてるよな、駅の反対側回ったとこ」
「え、いいよ…一人で」
「まあ、取り敢えず昼食か」
全然聞いてくれない。困り果てた萱島を放って、台風みたく去っていく。
「しゃ、社長」
すっかり廊下に消えた頃合いになって、慌てて情けない声を絞った。
「…仕事は?」
いっつも悠長な体で余裕をかましているが。ウチの会社の舵を取る立場で、先ず暇な訳が無いのだ。
放ったらかされた状態から起き上がり、ふらつきながらもペタペタと廊下を踏む。
台所から換気扇の音がして、寒さに身震いしつつ気配を目指した。
(風邪なんて久し振りだ)
忙しさに走り抜けていれば、案外身体は丈夫に耐える。
はっと立ち止まったフェーズになって、気付いた様に不調が降ってくるのだから質が悪い。
「社長…?」
キッチンの仕切り戸を開けて、スーツのままコンロに立つ雇用主へ呼び掛けた。
振り返った目が萱島を捉え、一瞬で寒そうな肩と、裸足の脚元と認識する。
「お前ほんと俺の言うこと聞かないな」
それはそっちだって。
なんて絶句してる間に、神崎は作業を放って距離を詰めてきた。
そうして竦んでいる身に手が伸びて、頼んでもいないのに軽々と子どもみたいに抱き上げられた。
「いやあ」
「何がいやあ、だよ。いつも抱っこ抱っこ五月蝿い癖に」
「おろして」
「良いけど社長の言うことちゃんと聞けよ」
理不尽だ、横暴だ。
帰ってきてからもマトモな返事なんてまるで返さないくせに、要求だけは力で押し通してきて。
ゆるい涙腺、熱の所為で更に弁が弱って、萱島は宙に浮いたままぼたぼたと水を落とし始める。
「…そっちだって、さっきから全然なにいってもきいてくれない、いつも無視するしこっちがいうんら、ひうんらって」
「待て待て、日本語喋れ」
「うわあーん」
まさか其処まで突然決壊するとは想像していなかった。
捻った蛇口のごとく、際限なく涙を溢れさせる子どもにさしもの神崎も驚く。
「そんなに泣くこと無いだろ」
言葉で宥めようが、もともと思考も働いていない現状、利いちゃいない。
「ごめんって」
ただ流石に零された謝罪には、萱島もひゅっと嗚咽を引っ込めていた。
この唯我独尊を地で行く男が、よもや人に詫びの訂正を寄越したのだ。
「……」
「何て言ってた?」
不安定な萱島を抱え直すや、珍しく正面から見詰めてくる。
改めて見ても端正な顔立ちにたじろぐ。
決まり悪そうに俯けば、頬をぽろりと雫が転がり落ちた。
「…しごとは?って」
「良いよな自営業、俺の代わりに犠牲になってくれる部下がいっぱい居るんだと」
牧が。戸和が倒れてしまう。
否、一番の避雷針である副社長が召されてしまう。
ますます休んでいる事態が申し訳なく、背中に変な汗が湧いてくる。
「まあ気にすんな。お前が元気になれば終いなんだから」
「でも、一人でへいき」
ずっと鼻を啜る。
萱島こそ常にないくらい殊勝で、大人に不思議そうに見られてしまった。
「薬も飲めないのに?」
「…今から飲む」
「ん?」
変だ。変なほど、そんなに優しい声で。
まるで心配してるみたいな目をして、じっと覗き込んでいる。
対処の分からない展開に、熱の所為でない紅潮がくる。
濡れた目元を赤くして、萱島は逃げる様に相手の首へ縋り付いた。
「社長、おろして」
「分かったよ」
「そこ座る」
キッチンに備え付けられたテーブルを指す。
神崎はもう素直に言うことを聞き入れ、至って慎重に椅子の上へと降ろしてくれた。
「此処に居るんなら上着持ってくるから着ろよ」
「はい」
梨の形をしたキッチンタイマーを引き寄せ、机上でころころと転がす。
ひやっこい机に頬をひっつけ、ぼんやり楽しくもない動きを眺めた。
世話を焼くんだ。こんな風に。
子どもや兄弟が居た例も無いのに、その面倒見の良さは何処から来るのだろう。
「じっくり、ことこと…」
鍋からは静かに湯気が漏れていた。
何か急に熱の上がってきた心地で、冷えたテーブルへべったり顔を伏せる。
「沙南」
上着を取りに行った神崎が戻ってきた。
跳ね放題の前髪を掬われ、額へ指先が滑る。
「この馬鹿、酷くなるから寝てなさい」
「んん」
ついぐずって反抗し、益々顔を埋める。
いつの間にか換気扇も止まって、キッチンは静かになっていた。
「沙南ちゃん?」
「寝たくない」
眠くもないし、怠くて眠れない。第一。
「夢がこわい」
神崎はきっと面倒臭そうに佇んでいた。
病気の時なんて、誰しも気分の悪い夢を見るものだ。
前に副社長が教えてくれた。
決まって娘が泣き出すだとか、甘えるから可愛いだとか云々。
「お前はほんとに良く泣く子だな」
知らなかった、また勝手に涙が出ていた。
常のように無遠慮に顔を弄られ、むにむにと濡れた頬を引っ張られる。
「い、いたい」
「体調が悪い時は得てして妙な夢を見るもんなんだよ」
「ひたい…」
「社長は見たこと無いけど」
やっと離してくれたら、ほっぺたが少し伸びた気がする。
涙目で箇所を押さえていた。
恨めしげな視線なんて露知らず、神崎は立ち上がり鍋を開けている。
そう言えば何を作っていたのか気になった。
神崎にしては珍しく、和風の匂いがしていたから。
湯を張った中の物を取り出す、所作や容れ物から何となく検討がついた。
茶碗蒸しだ。
理解してそわそわし出す萱島の前に、蓋を開けたいい香りが広がる。
「社長、和食つくれたんだね」
「ああ何か昔、義世のアホに無理矢理覚えさせられて」
「え…なにそれ、俺の味を覚えろ的な?」
「やめろ!気持ち悪い言い方すんな」
相変わらず、彼のことに関しては本当に嫌そうな顔をする。
日頃の神崎の気分がわかり、ちょっと悪い顔になった。
目の前へ器が置かれ湯気が上る。
不規則な動きを夢中で追う。矢先、俄に腕の下から持ち上げられた。
「ふえっ」
「よっこいしょ」
そのまま何を思ったか。神崎の膝の上に座らされ、大きな目を白黒させる。
「多分そんな熱くないから食べな」
萱島の前で茶碗蒸しを取り上げ、勝手に匙へ掬う。
「ほら」
控えめな一口を差し出され、いよいよパニックになってきた。
これはどう考えても、食べろということらしい。
普段は強請ってもそんなことしてくれないのに。
反射的に咀嚼し、飲み込んでも未だ現実感に乏しい。
出汁の利いた卵は文句なく美味しいが、正直頭がついてこなかった。
「どう?」
「…おいしい」
美味しいけれど。
既に恥ずかしくなって、神崎の顔がまともに見られない。
どうしてそんな急に優しくし出すのか。
さっきまで冷えかけていた身体が、背中を包む体温で一気に温まっていく。
結局最後まで手ずから食べ、カラになった器がテーブルへ戻った。
自分の鞄を引っ手繰り、神崎が態々買ってきたのか、薬とペットボトルの水を取り出す。
「甘くないからな」
流石に其処まで駄々はこねない。
けれど、出されたのがカプセル錠で少々腰が引けていた。
正直カプセルは苦手だ。どうしてあんな喉に引っ掛かりそうな形をして、飲み込むのに苦労を要するのか。
それでもこれ以上は我儘を言うまいと、放り込んで水をガブガブと勢い良く流し込んだ。
流し込んだというのに、何故か。結局水ばっかりが無くなって行く。
(の、のみこめない…)
下手くそにも程がある。
神崎も察したのか、呆れた面で奮闘する姿を見ていた。
「沙南ちゃん、水ばっかり飲んでもしょうがないだろ」
「ひーん…」
「そうやって変に力むからだよ」
確かに、理屈では分かっているのだけれど。
口の中へごろごろ居座る、カプセルが溶けてしまいそうだ。
「手の掛かるやつだなお前」
それ以上文句を言われるまいと、必死に水を含む。
次の間、急に顎を持ち上げられて何かが唇を塞いでいた。
「ふ、う」
びっくりして開いた隙間、柔らかいものが入り込む。
あったかくて、良く分からなくなった。
なんだこれ。正体も分からず、腰から力が失せて相手のシャツを握り締めた。
無意識に瞑ってしまった瞳の奥、ちかちかと光が走る。
柔らかいものが舌を掠め、その感触に思わず自然に水を飲み下していた。
(あ、)
飲めた。
ほっと身体を安堵が抜けた先、するすると口を塞いでいた感触が離れる。
開いた視界に、ステンドグラスみたいに綺麗な瞳があった。
つい夢見心地で魅入っていたが、次第に頭は状況へ追っつき始めた。
それから。
「…、へ」
もしかして今のは。
甚く簡単に、離れる灰色の瞳を見詰めながら。
今更理解した萱島の顔が見る間に熱を持つ。
「え、…え?」
「子どもってさ、舌で押さえてるから飲み込め無いんだよな。怖いからか知らんが」
唇があったかい。
未だ濡れた、痺れるような感触が張り付いている。
「な、なんで?」
「ん?アメリカ式」
嘘を吐け。
と頬を張りたくなったが、このいい加減な男のことだ。本当にアメリカで身につけた荒療治なのかもしれない。
だからってそんな素知らぬ顔で、キスをするのは間違っている。
余計に熱の引っ込みがつかず、悪戯に振り回す大人から顔を背ける。
大体、風邪が移る。
否、移ってしまえばいいんだ。
「怒るなよ」
唯でさえ過敏になった唇を、神崎の指が何度も擽った。
思わずびくりと肩が跳ねる。
「もう一回してやろうか?」
「…、いやだ」
「何で人間って嫌がられるとしたくなるんだろうな」
そんな万人、歪んだ人間ばっかりじゃない。
しれっと言い放つ雇用主に苛ついて、つい下から睨めつけようと抗う。
矢先に引っ張るでもなく、ほっぺたが優しく包まれ、条件反射でからだが戦慄いた。
怯える萱島にも構わず、最初は額へ。
それからまた身を竦ませた隙に頬へ、何の意図かも分からない口吻が降りてくる。
「ひ、や…やだ」
今日何度目か分からない涙まで滲んだ。
もう何処もかしこも熱く、いっそ元の風邪なんて有耶無耶にされてしまう。
「ふ、んん」
かたかた身を震わせて、逃げようとしたって片手で堰き止められた。
嫌がらせなら心底最低だった。
首筋を長い指先が伝い、その感覚へうっかりあられもない声が溢れる。
「、あ…」
瞬く間に羞恥が込み上げ、おまけに彼方此方へ振り回され力も入らない。
消え入りそうながら必死に相手を呼べば、やっと行為をやめて腰から抱き寄せられた。
「薬飲んだし、寝るか沙南」
急に識者へ戻ってそんな台詞を吐く。
身勝手さを非難したくても呼吸を落ち着けるのに必死で、腕の中で大人しくする他無かった。
(もういやだ)
自分よりよっぽど酷い熱を出して、寝込んでしまえばいいのに。
どうせ大した意味もない仕打ちを、こっちはずっと考えて、これからベッドに戻ろうがずっと眠れないのに。
移ってしまえばいいのに。
その一心で襟を握った。
萱島は必死に相手を引き寄せ、噛み付くみたいに唇をくっつけていた。
幾度目の感触のち、潤む瞳で迫力なく睨む。
間違いなく仕返しのつもりだった、なのに間近で灰色の双眼に捕まり、今度こそ雁字搦めにされてしまった。
微塵も動けない従順な身体、大きな手がじわじわ拘束している。
「…仕返しのつもりか?」
一瞬、潜めた声に怒らせたんじゃないかと思った。
だが指先の力と真逆に、次のキスは恐ろしく柔らかかった。
どうしよう、怖い。
社長が社長でないみたいで、自分が自分でなくなるみたいで。
夢を見ても怖い。
目を開けていても怖い。
じっと見つめる相手の色に、実は既に感染していたのではないかと思った。
だってこんなにも、触れる指が熱いのは変だ。
確かな現実を掴みたくて伸ばす。
萱島の小さな手を、新たな病魔が音も無く包み込んでいた。
(2018.2.18)
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