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第3話
「上を向いてごらん」
シブタニが子どもに対するような口調で言い、イブの顎を持ち上げた。
ぼさぼさになった前髪を斜めに流し、捻った髪の際にピンを差し込む。
満足そうに微笑んでポケットから二つ折りの鏡を取り出すと、イブに向かって開いてみせた。
普段より愛嬌三割増の見慣れた顔が写っている。
「ほーら可愛いでしょ。こんなに可愛い子に気づかないお客さんの方がおかしいんだよ」
「シブタニ、僕は可愛くなんて……」
「可愛いってば。俺の言うこと信じなさい」
むにゅっとイブの頬を摘み、シブタニが茶目っ気たっぷりにウィンクした。
「俺だけに見せる顔、見せてよ」
イブに元気がない時彼はよくこう言う。
改まると照れてしまうが、シブタニの期待に答えてにっこりと笑顔を見せた。
こんな風に親しげな表情を見せる相手は彼以外にない。
「うん、間違いない。最高に可愛い」
ムフフと独特の含み笑いをする男のほうがよほど『可愛い』という形容が似合っている。
奇跡のように整った顔はまるで彼が緻密にデザインしたラバーズのようで、天然の美貌だなんて信じがたいほどだ。
「シブタニシリーズはいいな……」
「なーに、いきなりどうしたの?」
「シブタニのラバーズは、みんなあなたの分身みたいに綺麗だから」
「……やだなーそれ、似てるってこと? 無意識に自分の分身を作るなんて俺やばくない?」
「やばくないっ」
珍しく大きな声を出したイブにシブタニが驚いて目を瞬いた。
「僕は羨ましいんだ。なんでもいい、DNAのひとかけらでもいいから、あなたの一部が僕の中に存在したらいいのに……」
「……イブ」
シブタニは息を呑み、呆けたようにまじまじとイブを見た。
「あはは……すごいな、俺のDNAが欲しいなんて。イブが人間だったらプロポーズみたいだよ」
「え? ……ああ、そっか、そうなのかも。もし僕が人間だったらシブタニと結婚したい」
笑い飛ばそうとしたシブタニだが、思いがけず直球で返された言葉に頭を抱える。
俯いたまま数秒間沈黙し、不意に「……本気にしてもいい?」と小さな声で呟いた。
イブが首を傾げると、指の隙間から様子を覗っていた男は「……そうだよね」と零して溜息をつく。
「シブタニ、僕はおかしなことを言った?」
「言ってないよ。おかしいのは俺の方。時々君がAIなんかじゃなく人間のように思えて、どうしたらいいかわからなくなる」
切なげな、なんとも言えない表情を目にして、イブの偽物の心臓がぎゅーっと縮まった。
痛いとか辛いといった類の脳信号が送られてくるが、これがプログラムのせいなのか壊れて誤作動を起こしているのか、イブには判断がつかない。
「ごめんなさい。シブタニを困らせるつもりはなかったんだ。こんな僕に今まで優しくしてくれてありがとう。あなたと出会えただけで僕は幸せだった」
「イブ、あと一日あるんだからまだ諦めちゃダメだよ」
イブは清々しい笑みを浮かべ、シブタニの手をそっと握った。
「ずっと廃棄処分を恐れていたけど、今はなんだか楽しみなんだ」
「どうしてそんなこと言うの?」
シブタニが唇を尖らせ、鋭い視線をイブに向ける。
最後なのだと思うと目の前にある全てがイブにとっては愛おしく感じた。
「廃棄になっても使える部分はリサイクルに回されるって聞きました。そしたら僕もシブタニのラバーズになれるでしょ? ほんの一部だけでもあなたの分身になれるなら、夢みたいだ……」
「……このバカ……っ!」
突然激しく罵りながら、シブタニがイブの腕を引っ張り、力いっぱい掻き抱いた。
「……こんなバカな子見たことない」
声が震えていたせいで、別れを惜しむシブタニの気持ちが流れ込むように伝わってきて、イブの胸に温もりが広がった。
在庫くんの最期にしてはあまりにも贅沢な結末だろう。
かくして在庫くんは在庫くんのまま運命の日を迎え、ショールームから永遠に姿を消したのだった――。
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