53 / 167

第53話

全速力で、二つ先の角まで走ると、さすがに誰も追ってはこない。 陸上部で短距離を走っていたんだから、ブランクはあってもまだまだ俺の脚力は衰えていなかった。 ゆっくり立ち止まると、イルミネーションの明かりが眩しいこの場所を確かめる。 天野さんの店とは逆の方向へ走って逃げたから、あまり慣れてはいない場所だった。 住んでいる所の近くではあるけど、繁華街なんて自分からは行ったことが無いし・・・。 変な話、俺って意外と真面目で、夜遊びをするっていってもこういう場所へは来た事が無かった。酒やたばこもやらない。 暇なときは花屋の手伝いをして、後は雑貨屋巡りとか服屋を見て回っていただけ。 さっきの男みたいな連中は、目にすることはあっても口を利いた事はなくて・・・。 初めての会話がアレじゃあなぁ・・・・・。 - ヤバイな・・・・。時間遅くなっちゃったよ・・・・・。 まだ警官があの通りにいるかもしれない。 仕方がないから、遠回りでも反対側の通りから行こうと思い信号を渡ろうとした。 その時、俺のコートのポケットに入れた携帯が鳴る。 もしかして、俺が来ないから、天野さんがかけてきたのかと思った。 そのままポケットに手を突っ込むと、横断歩道の真ん中で、発信元を確認する。 でも、表示された名前は『桂』で、それを見た俺は足が止まった。  - こんな時に・・・・、何だよ。 俺は、電話に出なかった。 そのまま横断歩道を渡りきると、天野さんの店の方向へと向きを変える。 片手に着信音のなる携帯を掴んだまま、もう片手には敗れた髪袋を抱えているが、そのうち携帯のコールが切れて、静かになった。 もう一度携帯電話に目をやった俺は、そのままポケットに仕舞うと早歩きになる。 随分遠回りをして、予定より30分は遅くなったけど、俺が着くのを待っていてくれた天野さん。 ドアを開けて出迎えると、敗れた袋に目をやった。 「あ、これ・・・・来る途中でぶつかって破けちゃったんだ。中身は大丈夫だからさ。」 俺は、少し隠す様にして袋の中身を取り出す。 中身は、正月用に母親が作ったブリザーブドフラワーというもので。 10センチ四方のアクリルのケースに、それは入れられていた。 水を与えなくても、ずっとこのままの状態を保ち、今咲いたみたいな綺麗な花の色は心を和ませてくれる。 「ありがとう、さすがだねお母さん。早速レジ横に飾っておくよ。」 「うん。」 「走ってきたのか?」 そういうと、俺の襟足を指で拭う。 うっすらとかいた首筋の汗は、思いっきりダッシュしたせいで、此処まで来るのにも速足で来たからだ。 「あ、・・・うん、遅れるかと思ってさ・・・。」 「バカだなぁ、だから人にぶつかるんだよ、気を付けろ。」 「はは・・・、うん。」 ちょっと笑ってごまかした感はあるけど、まあ心配かけたくはないし・・・。 そのまま、店のスタッフに混じると、運ばれてきた蕎麦をご馳走になった。 「今年は千早くんがいてくれて、ここの平均年齢も若返ったわよねぇ。」 そう言って笑うのはエリコさん。 スタッフの中では、少しだけ年上ですごくしっかりした感じの女性だった。 「まあ、高校生ですからね、俺。でも、天野さんの知り合いなら他にもいるんじゃないですか?今日は俺だけ?」 「そうよ、本当はお酒が出るような場所に千早くんを連れてきたくはないんでしょうけど。スタッフに人気あるからさ、キミ。」 片手にビールグラスを持ちながら、エリコさんはにこやかに話す。 「ありがとうございます・・・。」と、照れ笑いをする俺。 「千早く~ん。こっちおいでよ。」 「・・・はい・・・。」 天野さんはスタッフの人と会話をしているが、俺の方を向くと手招きをして呼んだ。 傍に近寄って行くと、グイッと肩を掴まれて、引き寄せられる。 「あっ、・・・・」 と、思う間もなく、顔を寄せると俺の頬にブチュツとキスをしてきた。 「・・・・・っ!!!」 スタッフの見ている前で・・・・・ 俺は酒も飲んでいないのに、顔が熱くて胸がドキドキして死にそうだった。

ともだちにシェアしよう!