103 / 167
第103話
美容室の大きなガラス戸を開けると、「こんばんは~」と声を掛けながら中へ入る。
入口のカウンターでは、最近入ったらしい女の子がキョトンとした表情で俺を見ていた。
「あ、すみません。今日はもう・・・」と言いかけたが、横に居たエリコさんに「いいのよ、オーナーのお客さんだから。」と窘められ、「そうですか?!」と、首をひょこんと下げた。
「ごめんね~、遅くに・・・。天野さんいますか?」
エリコさんと新人の娘に聞いてみる。
「上に居ますよ。どうぞ・・・」
「ありがと~。」
エリコさんに言われ、スタジオのある2階に上がった。
ここも、10年前と変わっていない。しいて言えば照明の機材が新しくなったかな。相変わらずナントカって雑誌に掲載するための撮影もしていて、天野さんのヘアメイクは俺の楽しみでもあった。
「こんばんは、早く来すぎましたか?」
打ち合わせをしている数人のスタッフの中に天野さんを見つけると聞く。
「大丈夫、後は任せるから・・・。」と言って、横のスタッフの肩をポンポンと叩き、俺の方に近づいて来た。
下の階へ降りながら、「忙しかったんじゃないんですか?俺なんかと遊んでていいんですかね?」と天野さんの顔を見るが、「へーき、へーき。」と笑った。
美容室を後にすると、何処かの焼肉店に行くのかと思っていたが、裏通りの俺の店の方に歩いて行くので不思議に思った。
「こっちに焼き肉屋ありましたっけ?!」
「え?ああ、違うよ。はじめちゃんの店に行って肉焼いてもらうんだよ。」
「はじめちゃんって・・・、ママ?」
「うん、そうだよ。」
はじめちゃんって呼ぶ人は、天野さんの同級生でゲイバーのママ。
俺の周りは10年経っても昔のままで、その中で俺はぬくぬくと育ってきた。
なんだかんだ言いながら、俺の世界は狭くて、この界隈が俺のテリトリー。たまに行く海外も、ここへ戻ってくる楽しみを再確認するために行くようなものだ。
店までの舗道を並んで歩くと、飲食店の客引きが俺たちに会釈をする。
別に俺が何かしたわけじゃないけど、天野さんの人徳というのか、この辺の連中には一目置かれていた。
「ちわ~っす。」と、口々に声を掛けられると、なんだかくすぐったくなる。一応顔は笑っておくが、内心はちょっとビビっていた。
「最近のバイトくんって可愛いよねぇ。そう思わないか?」
俺の顔を見ながら言うから焦るが、「そうですね。」と返事をする。
「うちのお客さんも若い子多くなったんですよね。やっぱり近くに専門学校とかできたからかなぁ・・・。」
しみじみ言うと、「はは、そうかもな!」と笑われた。28歳の俺がいう若い子のレベルと、天野さんから見た可愛いバイトくんの年齢はあっているんだろうか?
そうこうしているうちに、ゲイバーの看板が見えてくるが、電気が灯されていなくて。
「あれ?休みなんじゃ・・・」
天野さんに言うと、「ああ、今日は定休日なんだけどさ、俺たちと肉の日やりたいって。待っててくれてるから。」
そういうと、普通にドアを開けて中へ入って行った。
「あら~、いらっしゃい。今夜はいい肉調達してきたわよぉ。謙ちゃんがくれた軍資金、全部つぎ込んだし。」
鼻息の荒いママは、大きな鉄板をコンロに乗せると言った。
「すごいっすね。肉、どんだけ食うんです?」
カウンターにずらっと並んだ肉は、厚さ3~4センチはあるだろう。
ステーキ肉が5,6枚と付け合わせのサラダや根菜。
「足りなかったら、まだ冷蔵庫にもあるからさ。どんどんお食べ。」
「・・・はい、有難うございます。」
俺と天野さんがカウンター席に腰を掛けると、はじめママは早速焼けた鉄板に肉を乗せた。
じゅわ~っと立ち昇る白い煙に、肉の焼ける香ばしい匂いが店の中に充満する。
「すっご!!うまそうな匂い。」「だな~。」
思わず天野さんと顔を見合わせて笑う。
「こんなステーキ肉、食べに行ったら何万円も取られるからっ!!味わっていただきましょ。」
しみじみと目の前の肉を見たママ。
表面にいい色が付くと、ママが作った特製のソースをかけてくれる。
それを食べやすく切ると、俺たちの前の皿に盛り付けた。
「なんか、鉄板焼きの店に来たみたいだな。はじめちゃん、料理の才能もあるんだ?!」
天野さんが、言いながらママを見れば、「ヤだわ~ぁ、今さらアタシに惚れないでよねぇ。」と笑う。
「あははは、惚れないって!!」
「あらっ!ひっどい・・・。ちょっとチハヤくんナントカ言ってやって!!」
「え~~~?」
相変わらずの二人の会話には、長年培った友情の様な愛情の様なものが練り込まれていて、毎回俺を楽しませてくれた。
それと同時に、ここに桂のいない寂しさも味わうことになる。
気心の知れた同級生。
何も隠す事のない、自分を唯一さらけ出せる相手が、今ここにいない事は無性に寂しい。
きっと、天野さんもはじめママも、俺を元気づけようとしてくれたんだろうな。
そう思いながら、大きな肉の塊を口いっぱいに頬張った。
ともだちにシェアしよう!