108 / 167

第108話

タクシーから降りると、目の前のマンションを見上げた俺。 まるで絶壁の様に立ちはだかる、その建物を前にすると、足がすくんだ。 - はぁーっ、 強く息を吐きながら、一歩前に足を踏み出すと、中に入りエレベーターのボタンをゆっくり押して3階まで上がって行った。 少しだけヒヤリとした通路を静かに歩き、アネキの家のドアに向かうと、中からガチャリ、と鍵の開く音が。 「.......有難う。.........」 「......................謙は?」 静かな部屋の中の気配で、謙は眠っているのかと思って聞いたが、リビングに入るとソファーに横たわった姿を目にする。 エアコンのきいた部屋の中で、タオルケットにくるまったまま目だけは俺を見ていた。そこにいつもの表情はなくて.........。 言葉の掛けようもなく、そっと隣に腰掛けると、謙の頭をくしゃりと掴んだ。 「何か連絡あった?」 アネキに聞くと、「ううん、あの後はまだ.........、きっと他の社員のお宅にも連絡を取っているんだと思う。」と言った。 「そうか。.............、なら、桂の親父さんの所に連絡がいったのかな?!ニューヨークならそんなに時差もないだろう。」 「多分、ね。........」 それだけの言葉を交わした俺たちだったが、白み始めた窓の外に目を移すと、これが現実であるという事を認識した。 心のどこかでは、夢であってほしいと願いながら、それでも覚悟をしなければ、という思いも頭をよぎる。交差する想いに押しつぶされそうになるが、隣でじっとしている謙が不憫で俺が弱音を吐くわけにはいかなかった。 「おじ、.....小金井くん。.......お父さん、帰って来る?」 「...........ん、.............そうだな、時間がかかってもきっと帰ってくるさ。.........謙が待ってるんだもんな。」 「うん、僕待ってるよ。おうちに帰って来るの、待ってる。.......だから、小金井くんも桂のお兄ちゃんの事待っててあげてね?!」 「.............、うん、...............うん、....................。」 それ以上は言葉が出なかった。 声を押し殺すように、肩を震わせて泣くアネキ。 そんなアネキや謙の前で、俺は自分でも呆れるくらい涙が溢れてしまい、声こそ出さないけれど叫びたい衝動を抑えるのに必死だった。9歳の子供に諭されて、情けない自分を恥ずかしく思いつつも、どうしても桂がいなくなったという事実には向き合いたくない。 結局のところ、友田さんたちの会社から2度目の連絡があったのは昼頃になってから。 初めに連絡をくれた部署とは違い、広報の中の事故担当者がアネキと話をしている。 現状では、未だ把握できない部分が多くて、現地に向かっている人間の報告を待たないといけないらしい。 - すぐに行けないのかよっ!! 俺は心の中で叫ぶ。この足で、今すぐにでもアイツの所に向かいたい。 「明後日の飛行機で、家族だけは向かえるらしい。.........、千早も行く?」 受話器を手にしたアネキが、俺に顔を向けると聞いた。 「............いいのか?俺が行っても.....?!」 社員の家族じゃないけど.......、と思ったが、友田さんの義弟になるわけだし、俺が一緒ならアネキも心強いだろうし.......。 「行く、俺も行きたい。」 そういうと、身体を乗り出した。 - - -  悶々とした一日を過ごし、実家の親父やオフクロたちにも話をしたが、みな驚きを隠せない。気丈なオフクロが、声をあげて泣いているのが電話の向こうから聞こえてくると、俺まで泣けてきた。 身体の震えを必死でこらえながら、現地に出向く準備を始め、取り敢えず店をしばらく休みにする事を貼り紙で伝える。 天野さんにも電話を入れると、俺の身体を心配してくれた。そして、桂の事がウソであればいいのにと......。 次の日、指定された空港のロビーに向かうと、そこには同じ様に連絡を受けた家族がいて、顔色はさえないままじっとうつ向いていた。何人かは顔見知りなのか、話しながら涙をこぼしている。 俺は、アネキの肩を抱き、傍らで小さく俯く甥の謙を抱き寄せる。 これから目にするのは、現実の世界だ。ここに居る人達は、俺たちと同じように傷ついている。そして、また傷を深めに行くのかもしれない.........。 それでも、ここから逃げる訳にはいかない。 - - - 桂 - - - 待ってろ、今行くからな!

ともだちにシェアしよう!