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第111話

 湿気のこもった小さな部屋で、用意された夕食を頬張っていると、コンコン、とドアを叩く音がした。 「はい。.........どうぞ」 そう声を掛けると、ベッドの横のテーブルに皿を置いて立ち上がる。 ギッ、という音でドアが開くと、そこに居たのは日本人の男性。 歳は俺の親父より少し上ぐらいで、白髪交じりの短髪にワイシャツとネクタイ姿。 ビジネスマンらしい姿は、この場所には似合わなくて。 「......友田さんのご家族ですか?はじめまして。」 男性がお辞儀をしながらも俺とアネキの顔を見た。 「.....あ、はい。......えっと、」 俺がお辞儀をしながら言う。初めて出会う人だったし、ひょっとして友田さんの上司なのかと思った。 アネキもドアに近寄ると「はじめまして。」と挨拶をした。 「 私、桂の父です。.....友田さんには大変お世話になっていたと聞いておりました。この度は.......」 深々と頭を下げたその人は、あの、桂の父親だった。 「か、つらさん......ですか?!......あの、小金井です。同級生の........」 そういうと、顔を上げた父親の顔を見た。 「小金井、くん。........秀治と暮らしている?!」 「.....はい。大学からあの家で暮らしていました。今も.......すみません、ご挨拶もしないままで。」 俺たちはじっと互いの顔を見合うが、言葉に困る。 「はじめまして、友田の妻です。桂くんには子供のころから私たち姉弟もお世話になっていました。」 間に入ったアネキの言葉でホッとする。 部屋の中に案内すると、椅子に腰かけた桂の父親はもう一度俺の顔を見る。 なんとなく、こんな時なのにバツが悪くて。 俺と桂の関係を知らせてはいないけど、あんまり見られると恥ずかしくなった。 「大学の頃から、この仕事に携わりたいと願っていましたから、本人は後悔していないでしょう。」 今度はアネキの顔を見ると言った。 大学の頃、俺は桂から一度もこの父親の話を聞いた事がなかった。 それでも、こうして桂の夢を知っていたという事は、父親と話をしていたんだと思った。 「あの、ニューヨークから来られたんですか?」 「いえ、.......今はカナダに拠点を置いています。実は再婚して、カナダに家もあるんです。」 「......そうなんですか、再婚.........。」 初めて聞く話に戸惑うが、桂の父親も息子の消息を心配して来たんだ。 俺たち同様、心を痛めている。 「すみません、お疲れの所を.........。今夜はこれで。」 そう言って立ち上がると、父親は俺たちにまたお辞儀をした。 ドアの外まで行くと、二人で父親を見送る。その背中は少しまあるく見えた。 「初めてだね、桂くんのお父さんに会うのって.........。」 そう言ってアネキは目を丸くした。 「再婚しているなんて聞いた事ない。アイツ、何にも言わないから......。」 俺はアネキに言うが、今まで何も話してくれなかった事に腹を立てていた。 父親に、将来の仕事の事とか話せていたんなら良かったけど、別に親子の仲をどうこう言うつもりもないのに、どうして黙っていたのか分からない。遠慮なんかする事でもないし.........。 ベッドに入ってからも、俺の心は別の事でざわつきだしていた。 桂や友田さんの事が心配でたまらないのに.......。 ........桂のヤツ........... 相変わらず、朝を迎えても空は重たい雲が広がるだけで、捜索の進展もないまま時間だけが過ぎて行く。 少しでも、近くで様子を見たいという家族が川のほとりに佇む。その姿が痛々しい。 「あたしたちが到着する前から捜索は続いているのに.........、いつになったら分かるんだろう。範囲も広げているっていうのに....。」 「アネキ.......」 そろそろ家族の疲労もピークになってきたのか。 ここまでの道のりも大変だったし、宿舎に充てられた部屋も日本の宿とは比べ物にならない。 みんな疲れているんだ。 「部屋で横になってればいいよ。謙も疲れているし、俺がここで待機するから。」 そういうと、うん、と言ってアネキが部屋に戻って行った。 その後ろから、謙がアネキの背中に隠れるようについて行く。 めっきり口数の減った謙が心配になった。あんな小さな体で、いろんな思いを耐え忍んでいるんだ。 病気にならなきゃいいんだが........。 そう思った俺の視界には、食堂から出てきた桂の父親が入ってきた。 今日はTシャツにラフなパンツ姿で、こちらに近付くと、「おはようございます。」という。 「あ、おはようございます。」 俺も挨拶を交わすが、なんとなく外に目をやりながら、隣に立つ桂の父親に意識が行く。 「秀治は、どんな子でしたか?」 「え?」 外を眺める俺の横で、急に聞かれて向き直った。 「中学の頃に、両親にあの子を預けっぱなしで、気にはなっていたんです。 でも、アメリカには来たくないと、.....友達がいるから日本に残ると言って......。 それきり、私たちが離婚した後も祖父母の面倒を見てくれて。 たまには電話で話しましたが、聞くのは君の事ばかりでした。」 「......俺の?」 「そう、一緒に暮らしたいというので笑ってしまって...... そういうのは、彼女と同棲するとか結婚するとかの話だろうと、言ったんです。」 「.....................」 「息子が、そういう子だとは思ってもみなくて 正直、驚きを隠せませんでした。」 「...................、何か言ったんですか?アイツ」 「ええ、法律で許されるなら、君と、チハヤと結婚する、と。」 「.....................」

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