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第130話
朝目覚めると、部屋のカーテンを開けて窓の外を見た。
晴れているのを確認すると、窓を開け空気の入れ替えをして階下へ降りる。
閉められた縁側の引き戸を全開にすると、外からの空気が一斉に流れ込み家じゅうを駆け抜けていった。
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縁側で、淹れ立てのコーヒーを一口飲めば、元通りの日常が戻ってきたような気がする。
桂が日本を離れている間、俺はこうして一人暮らしを満喫していたんだ。
ゆっくりと時間が流れ、その日の気分で朝食を作ったりしながら、少しだけ寂しさを感じつつも暮らしてきた。
........でも、もう桂はいない。
桂の魂は何処に行ったんだろう。もしも飛んで自由になれるとしたら、ここに戻って俺の顔を見に来るだろうか。
相変わらずのヒゲ面で、ちょっとガッカリするかも。
........でも、これはお前以外の男を避けるためなんだから、むさくるしくても許してくれよな。
コーヒーカップに口を付けて庭先を眺めるが、所どころ伸びきった枝が窮屈そうになっていた。
母親に頼んで、庭木の手入れをしてもらおう...........。
昨夜の電話で、桂の親父さんが明日戻ってくるという。
.........桂の骨を抱いて.........
元々の桂家の墓は、神奈川県にあるらしくて、そこで桂は眠る事になる。
これほど愛しい間柄でも、結局俺たちはあかの他人同士。
同じ墓で眠れるはずもなく........
桂がくれたこの指輪だけが、俺たちを繋いでくれる唯一の物となった。
でも、俺の中にはずっとアイツの笑顔が残っているし、時々口うるさい物言いも、今となっては心地よい子守歌の様に感じる。
もう一度、俺を叱ってくれないかな.........
「髪の毛をちゃんと乾かせ」って、ドライヤーを持って追いかけてくれないかな........
そんな事を思いながら時間だけが過ぎて行った。
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家の前でタクシーが止まると、しばらくして玄関のチャイムが鳴る。
「.......おかえりなさい。」
「ただいま.........。」
ドアを開けて桂の親父さんの顔を見るが、すぐにその手に持たれた箱に目がいった。
綺麗な淡い藤紫の布に包まれて、大切に抱えられた小さな箱。
ここに桂が...........、こんな姿になって..............。
ひとまずは、居間にあがるとテレビ台の横の棚にソレを置いた。
小さくまとまった箱の中に、桂の一部がある。
そう思うと変な感じがする。あの日、手を振って俺の前から飛び立ったのに、今はこうして小さくなって戻ってきた。
...........ぅ、.......................うっ、
思わず目頭を押さえた俺に、親父さんは言葉を発する事もなく、じっと咽び泣く俺が静かになるまで待っていてくれた。
「.......すみません、も、ぅ大丈夫です。」
「...........................」
「葬儀は、どうなりますか?.........これから手配をするんでしょうか。」
俺が聞いてみると、俯いたままの桂さんが「告別式だけは執り行うつもりです。秀治の友人を呼んでもらってもいいですか?」と言った。
「.......はい、分かりました。知り合いには声を掛けておきます。.........」
「ありがとう」
しばらくの沈黙が、この場の空気を重くするが、桂さんがバッグから袋を取り出したので、そこに目をやる。
袋の中身を差し出され、またもや涙が頬を伝った。
それは、俺があの日プレゼントした腕時計。箱に仕舞われていたが、使っていた痕跡があった。
ベルトの部分が少しだけ擦れたようになっていて、それを手に取ってみるとアイツの匂いがするようだった。
そして、もう一つはジュエリーケースに入ったリング。
届ける相手を無くした指輪が、真新しい輝きを放ちながら、淋しそうに光っていた。
「これは、秀治が見つかった日に届いたらしいです。会社の方が受け取ってくださっていて.........」
「そうですか。.......俺にも届いたんです。メッセージカードと一緒に。」
「これを付ける事は出来なかったが.......、千早くんが気にいってくれたのならきっと喜んでいる事でしょう。」
そういうと、俺の指にはめられた指輪を眺める。
「これは、千早くんが持っていてください。」
時計と指輪を俺の前に差し出すと、親父さんが言った。
その手を取りながら、涙をこらえると
「ありがとうございます。.........大切にします。」と、心からのお礼を言った。
大切な桂の形見をこの俺にくれるなんて...........
本当にありがたいと思った。
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