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第158話

 朝、カーテンの隙間から差し込む日差しで、まつげの先がキラキラ光るとその先に見えるものは幻想の世界の様で。 うっすらと目を開けて、太陽光線を避けるように横を向きながらベッドから上体を起こした。 「............おーはら?」 キッチンに居るのかと、声を掛けてみたが静まり返ったままで、コトリとも音のない室内はやけに寂しい。 - 学校か..................... 床に足を降ろすと、ゆっくり立ち上がって伸びをした。 平日の朝に、ゆっくり寝ているのは俺ぐらいのもんだな・・・。 スツールに腰掛けて、コーヒーを飲みながら昨夜の事を思い出す。あの、路地裏でのおーはらは、酔っていたからあんな事をしたのか、あいつらに飲まされて無理やりさせられていたのか.............聞く気にもなれずにそのままだったが、金をくれって言ったんだろうか。 アイツの通帳は、俺が預かっておけば良かったな........ きっと母親に渡してしまったんだろう。 考えてみると、おーはらは今までどんな子供時代を過ごしてきたんだろうか。自分の子を置いて、さっさと男の元へと行ってしまう母親。想像する事も出来ないが、おーはらと最初に出会った時に感じた、あの、大人を嘲るような冷めた目は、生い立ちのせいなのか..... どうして桂と重ねてしまったんだろう.................。 まったく違うのに......... - - -  その日、午後の三時を少しまわった頃に実家の花屋へと向かう俺。 九州の祖父母の所へ行くという両親に、別れを言う為だったが、改まって顔を見ると思うと少し切ないな。家に近付くと自然に胸が締め付けられる。 「爺さんたちも、あの年で畑の仕事はきついんだろうな。俺だって、もう大きな鉢は持てなくなってるから・・・・」 そう言うと、親父が俺の前で腰をトントンと叩くふりをした。まるで年寄りを労えと言わんばかりの格好で。 「親父はもともと店の仕事なんかしてねぇだろ?!飲んで遊んでいるばかりでさぁ・・・」と言った俺に、肘鉄を食らわせようとしてくる。 「ひっでぇなぁ、お前は。俺の努力をちっともわかってない。飲み歩くのだって仕事の内さ。おかげでクラブやバーなんかにも花を置かせてもらってんだよ。」と、自慢げに言った。 親父の戯言を聞きながらリビングでお茶を飲むと、久しぶりの家族の団欒。 俺が精神的にまいった時も、やっぱりこうやって集まってくれた。 ものすごく心配をかけた気もするが、俺はここで安心して落ち着く事ができたんだと思う。 「まぁ、俺やアネキは、この家に生まれて幸せだったのかも。.......色々あったけど、この店が受け継がれていくって事は、凄い事だよな。」と、隣で静かに聞いているアネキに言った。 「ホント、......ここがあって良かったと思う。感謝してるわ、あたし。」 あの日以来、謙と二人で強く生きているアネキが、少しだけ目頭を押さえた。光の粒が、指の間からこぼれるが、俺はそっと見ないふりをする。 「九州っていっても、今じゃ飛行機でアッという間よ。田舎に飽きたら、たまには帰って来るからね。アンタたちも元気で頑張んなさい。」 オフクロがいつもの口調で言うと、本当に大した別れではないような気さえする。アッという間にここへ戻って来る親父やオフクロが想像できるから笑えた。 「明日の朝は早いんだよな。飛行場に送って行こうか?」 俺が言うが、「とんでもない!千早の運転じゃ寿命が縮まる。電車で行くから気にしないで。普段通りにしていて頂戴。」と母親に言われる。 「車で移動する時は、バイトの吉田くんに運転してもらうんだよ?!」 尚も、俺のハンドルさばきを心配するオフクロに、「分かったよ!運転は吉田くんに任せるから。心配すんな。」と言ってやった。 夜になると、謙を自宅へ迎えに行ったアネキ。 その間、俺は親父とオフクロに向き合うと、「アネキと謙の事も、心配すんな。俺がちゃんと見ているからさ。」という。 友田さんが行方不明のままという不安は、この先もずっと付いてまわるだろう。 桂の骨になった姿でも、そこに居たという証を見た事で、俺は救われたのかもしれない。何処かで線が引ける。でも、アネキや謙にとっては大事な家族なのに、影も形も探る事が出来ないんだ。いつまでたっても待つしかなくて・・・ それは想像しただけでも、遥かに気の遠くなる事で。言葉では言い表せない気持ちになる俺は、とにかく見守っていてやりたかった。 「お願いね、塔子や謙がこれ以上辛い思いをしない様に、千早が側に居てやってね。」 「頼んだぞ。」 「.....うん、分かったよ。」 なんとなく三人の間の空気が暖かくなると、自然に笑みも零れる。 その日は、寿司をつまみながら昔の事や謙の学校の話を聞いて、笑顔のまま一日が暮れていった。普段通りの生活を、と言われ、俺は自分のマンションへと帰る。 途中、桂家の前を通ってみたが、敷地の周りはブルーシートに囲まれて、家の様子は見る事が出来なかった。 呆気なく、形あるものが壊されていく。俺や桂や、桂の家族の思い出を沢山仕舞ったまま、この家は姿かたちを変えてしまうんだと思ったら、少し虚しくなった。 - 結局、最後に残るのは、俺の頭の中にある’記憶’という箱だけだな。 でも、いつしかそれも消え去る事になるのかも。 暗い道を辿って、少し明かりが見え始めると、華やかな繁華街に出る。 俺の住む街は相変わらず賑やかで、色々な感情が渦巻く中に身を委ねると、また今日という一日が終わろうとしていた。

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