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episode.1-8
下馬評とモニターで見た映像はサイコだった。
だがそれなりの理性は携え、考える所もある様だ。
額が切れたのか童顔を血が伝う。
気にも留めず袖で拭おうとした相手に、本郷は親切心からハンカチを差し出した。
「……」
沈黙。
理解が追い付かず、解析から始める間が出来た。
「……」
「…いや」
結局言葉が見付からず俯き、萱島は違う頭痛に額を押さえる。
「頭大丈夫か?」
「…大丈夫かってこっちの台詞ですよ。野郎にハンカチ出すなんざ、お宅はカニ味噌でも詰まってんですか」
目を覆う相手を本郷は本郷で解せぬらしい。
「タダの心配に野郎も糞もあるかよ」
「心…」
遂に反論を吸われた。
予ての推測に駄目を押される。
この本郷という男、矢張り自分が最も苦手とする“善人”である。
そして根っからの犯罪に向かない“カタギ”であった。
ケツを掻いてシノギの出汁にしようと踏んでいたのに。
面を上げて不服そうな姿を睨む。
萱島は非義ではあるが、非情で無い。
且つ矜持の一つで、部下とカタギに手は出さない。
代紋を担ぐ頃から定めたルールだった。
「…副社長はどうしてこの様な界隈に?」
ハンカチを奪い取り、代わりに付随して湧いた疑問を投げた。
民間で健全経営とは言え、犯罪都市に本社を構え、且つ自分と関わっている時点で真っ黒だ。
「厄介な親友が居るんだ」
「親友ね、それでロクな結末になった奴を見たことが無い…ん?何…ちょっと待った」
嫌な予感に眉を顰めた。
先に砕けた口調で話していた、悪の親玉みたいな存在が蘇った。
「…まさかアレか?あの確実に此方側の雇用主の事か?」
「お前側なのは正解だよ」
「失礼を承知でお尋ねしますが、副社長はドマゾか何かですか?それとも非行に感けたいお年頃で?」
「なあ…一個頼んで良いか」
寸断された萱島が目を瞬く。
「放っといてくれ」
至って真顔で言ってのけた相手に、全ての感情が引っ込んだ。
確かに。何故こんなお節介に物申す必要があった。
次の話題は特に無いし、仕事はこなした。
ならもう長居の必要もない。
断ってズラかろうとしたのだが、物言いたげな視線を感知した。
お小言でもあったか。萱島は向き直り、用件を催促した。
「未だ何か?」
「…いや」
じっと涼やかで、この街の似合わぬ相貌が見詰める。
左右の瞳の色が少し違うのだ。
ディティールに気が回るほど、長い拘束に思われた。
「お前、何処かで会ったよな」
さらりと放たれたのは問い掛けだった。
一時の思考のち、萱島は否定を告げた。
その様な記憶、直ぐ引き出せる所には見当たらない。
十二分に残り易い姿也に関わらず。
「…そうか。なら忘れてくれ」
当人も朧気だったのか、疑問は直ぐに仕舞われた。
萱島も何故か未だ考えるまま首を傾ける。
言われてみればその声、覚えがある様な。
然れど深く掘り起こす気にもなれず、結局萱島はさっさと完了して歩き出した。
優先事項でも何でも無かったのだ。その場面では。
(13時51分)
腕のデジタル時計を確認し、千葉はラップトップから繋げた監視カメラを見やった。
色の悪い視界にエントランスが映る。
良い加減、もう直来るか。
社長も時間を作って態々現れ、挨拶を寄越して行ったのだ。
今日という特別ながら、慄然たる記念日に向けて。
「――なあなあ!晩みんなで食べに行こうぜ」
脚元の声に意識を奪われた。
弾かれ、勢い良く音源へ目を向ける。
年端もいかない少年が期待に満ち溢れ立っていた。その姿を認め、諸諸をすべて引っ込めた。
この少年の名前は渉。
皆から10は離れた、此処で育ち、此処で生きる稀有な子だ。
千葉は膝を折り、彼の為だけに破顔した。
「良いなそれ、何食べるよ」
「俺はねー、やっぱ焼き肉でしょう焼き肉」
「おっ。贅沢ですな渉さん」
やがて渉は周囲の職員の腕も捕まえ、無邪気に会話の中へと引き摺り込む。
良かった。楽しそうだ。
歯を見せ笑う少年に、勝手に自分が救われた心地で息を吐いた。
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