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episode.3-4
「お話でしたら此方へ、客間へお通しします」
若い者が頭を下げ、簡易な花道まで作られる。
組長はご在宅の様だ。高そうな靴を背後から蹴りつけ、萱島は怪訝な上司へ耳打ちした。
「…此処だけの話、枠場のハゲは俺の万倍ヨイショが上手でね」
「へえ」
「孝心会のどこまでは知れませんが…上層部と直接コネクトがある、精々気を付けてどうぞ」
成る程、萱島の真反対で出世した訳だ。
暴力団の内情など知りたくもないが、単なる成果主義ではないらしい。
抗争も廃れた昨今。地上よりも、よっぽど人間関係がモノ言う社会なのか。
「生き辛そうな国だ」
「お宅の様な健全経営が希少なんだ、羨ましい」
「健全経営ね…」
案内に従い、エントランスのセキュリティを潜る。
蟻の巣食う柱は、崩れる寸前まで分かり難い。
そう、白樺の美しい屋敷も知らぬ間、基礎から喰い荒らされているやもしれず――。
暗い。
何だこの臭い
一体、何が
――早く…!…し、――でも、
ま…――るが…こう、に――…!
鼓膜が
「牧」
アアア…ア…あ、ち――いつら…
「牧、大丈夫か」
本部か
どうなった
、ん――な… だ、か――今
ああ、その声
「大丈…」
わ――…て、行く…め、
もしかして
「ダイジョウ ブ?」
「マキ ダイジョウブ?オレ」
その声、お前か
「大丈夫、オレ、オマエ…」
やった生きてたのか
「アアアお前、ナンテコト」
「ア、アアア…
ア、アア、ア マキ」
何で一斉に見る
全員
顔面
無い
「ミロ」
「オレヲ ミロ」
顔
「マキ
オレヲ
ミロヨ チャントテメエエエエエエエ」
――ガシャーーン!
グラスが床面へ砕け散った。
殆ど死に物狂いで放り投げていた。
散らかる水同様、額から汗が止めどない。
呼吸が痛い。心臓から、血管、生きている証。
何もかも。
「……はっ、はッ、」
シャツを握り締め、手近の腕時計を引っ手繰った。
意識が飛んだ、それから2分後の時刻が表示されていた。
「クソッ…」
鞄の中身をぶち撒ける。
アスファルトをのた打つ蚯蚓の様だった。
滅茶苦茶な机の上、牧は救済を求めた。
瓶を開け、錠剤を噛み砕く。飲み下す寸前、新たなグラスが遮った。
提供元を見た。影みたく自然に、いつからか千葉が立っていた。
並々と注がれた水が、勢いで淵から溢れ出す。
「…何か用か?」
満身創痍で微笑った。
一睡も許されない目は、削った鉛を思わせた。
「相談に」
グラスの水を呷り、牧は相手へさっさと用件を求めた。
自分が寝るだけのスペース。無用の人間は、来る場所でないから。
「退職相談だよ。俺じゃねえぞ、佐瀬はアイツ…前からその話をしてただろ」
「覚えてる。昨年の11月付だったか」
「そう。もう良い加減業務も落ち着いたし、良い頃かと思ってな」
ああ嫌な空気だ。平静な顔こそすれ、互いに目を覆う。
あの一件から2人の時間は何時もそうだ。無音という化物が覆い、じりじり皮膚を焦がす。
この空気。その表情。
今の状態を予測して、切り出すタイミングを一体何ヶ月悩んだか。
「…そうだな」
だから了承が来て千葉は驚いた。
事件当日に閉じ込められていた彼が、ほんの僅かでも枠の外を向いた気がした。
「来月末でいいだろ、時期は中途半端だが」
「おう…そっか」
気を取られ過ぎていたのだ。
背後で物音を立てた、それで漸く、扉の影から覗く存在を知るほど。
認めた両者が凍りつく。幼い目が正視して、盗み聞いた内容に戦慄いていた。
「…ねえ、どうゆうこと?」
渉が敵意を向け其処に居た。友達の知らない話に、少年は幼い激情を募らせた。
「佐瀬、辞めるの?そんなの全然聞いてないのに?」
「ほ、ほらぁ言ってたろ去年」
手を打った千葉が、出し抜けに明るい声をつくる。
無理やり少年との距離を詰め、直ぐ傍らに膝を突いた。
「あんな事があったから留まったけど、アイツは元々実家に帰る話だったじゃんか」
「でも、来月なんて聞いてない…大体、もう誰も…俺と誰もちゃんと話してくれない…!」
中途半端に伸ばした手が止まった。
かたかたと震え、少年は昨今まで隠していた恐怖を吐き出した。
今まで殺していただけだ、渉は何時も拭い切れない違和感に晒され、原因不明の孤独で。
ひとり苦しい。誰も彼もが余所余所しく、自分の知らない方角を見ていた。
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