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episode.4-10

深みに嵌まる、青年は突如寝屋川に胸倉を掴まれた。 ひゅっと呼気が縮まる。 幾度も自分を諌めてきた目が、今日も二の句を吸い取った。 「俺を見ろマインズ」 元より、逸らすのは叶わぬ相手だ。上っていた血がずるずると落ち始めた。 「そして考えろ。お前がドクの立場だとして、何を思った」 彼の立場だとして。青年は緊迫の最中、引き裂かれる親友に自らを置換した。 舞い上がる砂の中、ヘリが飛び立とうとしている。群がる民衆に関わらず、懸命に手を伸ばす仲間。 「お前を助けようとするツレに何を頼んだ」 もう助かりもしないのに、無謀に走り寄ろうとする。 止めろ、来るんじゃない。先に――。 「……っ」 青年の全身が弛緩した。寝屋川が手を離すや、その場に膝から崩れ落ちた。 「ジャクリーンは?居ないのか、バースの実家を知ってるだろ」 「大尉」 周囲を捜す寝屋川に制止が入る。 怪訝に見返すと、部下は歪な表情で告げた。 「ジャクリーンは死にました」 「何?…任務中にか」 「いえ、此処でです」 次は寝屋川の眉尻が吊り上がった。 奴の事だ、尻ポケットにオートマチックピストルでも差していたのか。 部下は未だ何か言い淀んでいる。嫌な懸念が突いた。 間髪を入れず相手を覗き込み、問い糾していた。 「…他は」 「ウェスト、アリー、ライザック、ハッセル…計4名が殉職。ビングが意識不明で入院中です」 全て懐かしい名に時が止まった。 安寧の国に帰ってきた筈だった。それがどうして、温かい基地で死ぬ羽目になる。 然れど薄々、この建物に帰還した折から感じ取っていた。真新しい壁や床で覆い隠した、生々しい傷跡。 「何があった」 鋭い視線に開かれる。無意識に治った肩を押さえ、部下は1年前を呼び起こしていた。 そう、既に1年前になった。 時を同じくして、千葉もカレンダーの日付を眺めて気がついた。 今日が11月の3日。もうこんなに季節が過ぎていた。 「わっ!」 不意に大きな声がして肩が跳ねた。音源を向くや、渉が歯を見せて喜んでいた。 「やーい、仕事中にぼーっとしてやんの!」 「…コイツーやりやがったな」 逃げる身体を背後から抱き竦めた。未だ甲高い笑声が漏れる。 「やめろよォ!潰れちゃうだろ」 「お?何だ、何持ってんだ渉?」 「千葉には教えなーい!」 小さな姿は、自力で腕を擦り抜け走り出した。何か、似つかわしくない…綺麗に梱包された紙袋だったが。 遠のく渉を見守っていると、彼は佐瀬に追いつき腕を引っ張った。まさか。 意図せず力の篭もる、千葉の指先が書類を握り潰した。 「――おい佐瀬!何で辞めること黙ってたんだよ!」 渉は紙袋を背後に隠し、態と憤ってみせた。対面の男は困って言い繕う。 彼が弁護を続ける前に、少年は遮る様に物を突き付けた。 「もう分かったよ、はいこれ!」 あの紙袋。千葉の両眼が見開かれた。 そうだ包装紙を変えただけで、形は覚えがあったじゃないか。 「あのさー、ほんとはさ…去年あげるつもりだったんだよ。お前の誕生日プレゼント…あ、食い物じゃないし腐ってないからな!」 去年、一緒に選んでやったんだ。全員の誕生日、アイツは欠かした事がなかったから。 「…有り難う、渉」 破顔した佐瀬が眼下の頭を撫でる。心底嬉しそうに。照れる渉を認めた瞬間、千葉はふらりと一帯から距離を取る。 ほんとは去年あげるつもりだったんだよ。 渉の声が次々と反響し、映像と共に千葉の五感を覆った。 はいこれ。紙袋を差し出す姿が、巻き戻した1年前に繋がりかけ、ノイズを飛び散らす。 何で辞めること黙ってたんだよ。 蹌踉とした足取りで、どうにかメインルームを抜けていた。誰もいない給湯室に身体を滑らせ、千葉は冷えた洗面台へ崩れ落ちた。 “佐瀬、誕生日おめでとう” 輪郭が霞む。平坦な地面へ、ぼたぼたと水滴が落ちて色を変えた。 前へと進む、これ以上なく眩しい少年の表情が心臓を握り潰した。 どれ位そうしていたのか。 拘泥から引き上げたのは着信だった。 電子音に無理やり面を向ける。目元を雑に拭ったのみで、千葉は次には底抜けに明るい声を捻った。 「…ああ、寝屋川隊長!お久しぶりじゃないですか…戻ってらしたならそうと早く…」 其処で単調な声が遮った。表情まで止まり、彼の静かな追求に耳を傾ける。 それはそうだ。空白の期間の出来事、すべてを誰かが説明せねばならないのだ。 (牧が休みで助かった) 一番に考えた。アイツにはもう、何も聞いてやらないで欲しかった。 「承知しました、今から行きます」 短い応答のみで切断する。心配ない。話は得意だ。 あの日、自分がメインルームを出るまでに目にした序破急。それを語ればもう事足りる。 それだけを語れば。 千葉はざわつく胸中のまま給湯室を後にする。階下に出向くや、寝屋川と側近だけが殺風景な待機所に居た。 「…さて何処から」 口上を述べる部下を、久方振りの視線が射抜いた。 最初からだ。対面早々、特徴的な低音は膠もなく命じた。 next >> episode.5

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