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episode.5-1 「X-Day」
「託児所じゃねんだぞ此処は」
猜疑心、だったと思う。
初めに動いたメーターは。
スリングでぶら下げられ、知らない男に捕らえられた千葉が苦虫を噛む。
対岸には人攫いの上司か、未だ年若い青年が長い脚を投げ出していた。
「そう言いなさんな神崎社長」
「中坊なんざ連れて来てどうすんだ、晩飯にもならん」
「アンタだってこないだ成人したとこでしょうが」
薄い目を素知らぬ風で外へ向ける、もう受け答えを止めた相手は、追いやる様に両者を手で払った。
下手踏んだ。
手も足も出ない赤子同然で、千葉は数刻前を恨んだ。
デトロイトでやらかして逃げたは良いが、祖国が銃もない安寧の世なのを失念していた。加えて身寄りのないガキだ。
見知らぬ大人に首根を捕まれ、妙な会社に曰く“保護”されてしまった。
「なあ、家が無えんじゃ困るだろうよ」
八嶋と名乗った。自分を誘拐した大人が、ようやっと地面へ下ろしてくれた。
「お前未だ14だろ?何処から来たんだ」
「…アメリカ」
「良いねえなら下の連中と話してくれ。アイツら海兵の出身なんだけど、俺じゃ会話が成り立たねえんだわ」
性格通りざっくりした歩き方で、八嶋は妙に広いだけの廊下を先導した。
言ってもビルのテナントだ、商号も聞いた例が無い。場末で、しかも勝手に子どもを捕まえて、ロクな会社でない。
(まあ暫く世話になるのも有りか)
他に行き場も無いし。八嶋が電話に席を外し、廊下の中途で待ちぼうけを食らう。
照明の少ない先を見渡していたら、急に曲がり角から何かが飛び込んできた。
「いっ…」
痛い。衝撃で蹌踉く、千葉の視界へ無数の紙が翻った。
次々と舞い散る、書類の向こうに驚く顔が見えた。なんだ、ぶつかったのか。
「――悪い、ごめん!」
理解するや否や、恐ろしく素直な謝罪が飛んだ。辟易して佇む。
彼は千葉の肩を掴み、焦燥を乗せて覗き込む。
何だ。びっくりした。
千葉は何度も瞬いた。同年代じゃないか。
「怪我ないか…ってあれ、誰だお前」
見る見る勢いと眉尻が下がった。困惑に包まれた彼に、千葉は何を返して良いやら迷った。
「いやさっき其処の、八嶋さんに連れて来られて」
「ああそうなの?ごめんな、前見てなかったわ」
「良いって。拾うの手伝うし」
自然に屈んだ千葉に対し、惑っていた彼の口端が上がった。人の良さそうな少年。少なくとも、第一印象はそれだった。
「なあ俺、牧。もし此処に来るなら宜しくな」
手を差し向ける。視線が合うや人好きのする顔で笑う。
聞けば矢張り同い年の彼は、既にその当時この会社の中枢に座していた。
牧はオリエンテーションを買って出た。
彼とて同い年との遭遇が嬉しかったのか、口数も多く千葉を引き連れた。
社員は12名。半数が四半世紀も跨がぬ齢で、聞けば設立自体が漸く5周年だそうだ。
その癖繁盛しているらしく、給与も福利厚生もかなりの高水準だった。
界隈にまったく縁はないが。正直、待遇だけでかなり惹かれる物がある。
「幅は広いかもしんないけど、融通は利くしやりがいあるよ。まあ暫くはツールとシステムの勉強かもな」
「調査ってどんな仕事が来んの?」
「うーん色々。信用調査が主だけど、ウチは深く狭い付き合いだから。頼まれたら何やかんやね」
牧は想定通り良い奴だった。
まあ楽しそうに笑う人間で、付き合いも良く、おまけに14とは思えぬ気配りを見せていた。
「おい牧、これ一気にガーって色変える奴つくって」
「…はあ」
否、気配りというか。周囲の大人が面白いように頼る。
傍目に見る千葉すら呆れる。日に何度も誰かが席を訪れては、やれマクロを組めだのメニューコマンドを追加しろだの。
難題を牧に吹っ掛けては、頻りに困らせて遊ぶのだ。
「自分で出来るだろ、何で俺に言うんだよ」
「良いじゃねえか本当によお…俺はお前が居ないと何も出来ないからよ」
「いや…」
遮る隙もない。じゃあ宜しくとばかりに、馴れ馴れしく背を叩いては去って行く。
どういう事だよ。突っ込みたい千葉を他所に、ゴミ箱と机上を交互に見やり、結局牧は貰った素案をデスクに投げた。
あーあ。
大凡、同年代に抱かない呆れが募る。
何故そうやって甘やかす。千葉の内心を汲んだのか、副キャップは参った風に肩を竦めた。
「仕方ないんだ、俺は営業に関しちゃ任せっきりだし。中のことくらいやらなきゃ、居る意味ないしな」
「…おーいお人好し」
第三者として観察した末、千葉はつい思った件を口に出した。
「ありゃお前に構って欲しいだけだぞ」
「そんな訳あるかよ」
恐らく、ぽっと出て来た自分が独占している為か。彗眼で言い当て、千葉は周囲の大人に増々ため息が出た。
「他所の関係に口は出さんけど、好かれてんなあお前」
「さあ、もう10年近い付き合いにはなるし…殆ど一緒に暮らしてたから」
居るのが当たり前になってて。
牧が明後日を向いて零す。独り生きてきた千葉には馴染みがなく、首を傾けた。
そういうもんかね。久方振りに這い出た地上は、想定よりも暖かく目を眇めた。
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