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episode.5-2

「あ、そうだ」 不意に面が跳ね上がる。 訝しげな千葉の肩を掴み、少年はまたも楽しげに問うた。 「お前下行った?下」 「B1?いや何で…」 言葉にしてから記憶が蘇った。そう言えば来た当初、主任の八嶋に「話してくれ」と言われたのを失念していた。 「じゃあ行こう、今から」 「挨拶しといた方がいいのか」 「一応下の頭が調査責任者になってるから、お前の上司でもあるよ」 そうなのか。最低限の条件書を貰っただけだから、組織体制など全く頭に入っていなかった。 調査員とは、実働隊の意だろうか。机上を整える傍ら巡らせていると、不意に一帯の雑音が吸い込まれた。 「…あ」 何事かと首を伸ばした牧が鼻白む。 「来たわ、向こうから」 「え」 そんないきなり。倣って勢い良く首を捻ると、金髪の男が部屋の中央を突っ切ってきた。迷いも無駄も省いた歩き方。例の海兵だろうか。 (…日本人だけど) 間近まで来ると、千葉まで圧にやられて竦む。何故こんな民間企業に軍人が。 ところが握手を迷っている隙に、背後から小さいものが追いついて飛び込んだ。 「Captain, got you!You are it!」 憚りもなく金髪の足下で跳ねる。その年端も行かぬ幼児に、増々出鼻を挫かれて呆ける。 4、5歳だろうか。 黒髪で、彼も日本人に見える。上司は足元をうろつく生き物を見やり、結局折れて片手に抱き上げた。 「わあ…お疲れ様です寝屋川隊長」 「俺が来ると何時もその面だな。後ろは?」 「新しく入った千葉です、俺と同い年」 子どもが一杯。託児所かと見紛う様相に、さしもの寝屋川も二の句を迷う。 元より平均値の若い会社だが、ここ数ヶ月で殊更に下がっていた。 「…なら丁度良かった、仕事がある」 丁度良かったとは。 両者首を傾げていると、一歩距離を詰められた。そして竦む千葉の鼻先へ、まんまるな双眼を瞬く幼児が突き出された。 「Mm, hmmm」 「年が近い方が教育に良い。見てやってくれ」 じっと小ぢんまりした体積を見詰める。 「Toot-toot」 幼児はもう明後日へ興味を逸らし、汽笛の真似事を始めた。大福みたいなほっぺたが膨らんでは凹む。 上司から引き取ってつつくと、初めて千葉に気付いた様にびっくりした。 「…誰のお子さんですか?」 「社長の弟だ。母親が亡くなったから連れてきた」 まあそれは。こんな小さいのに。 腕の中の体温は大人しく、パーカーの紐の先で遊んでいる。 「ええと、言葉は」 「英語とアラビア語が少し」 「名前は?」 「渉」 ぴたりと幼児の挙動が止まった。飴玉が千葉を見上げて、口をぱくぱくと何か訴え出した。 「Amm」 「…どうしたんだよ」 「I'm Al, toot」 最後のはさっきの続きだとして。ファーストネームらしきものを発した子どもを、またふにふにと突付く。 「ああ、そう呼ばれてたんだ母親には」 「渉だからアル?成る程、お母さんが外国人でお父さんが日本人とか?」 「そうらしい」 この齢なら、母親の死を理解していないかもしれない。千葉はある種厄介事とも言える任務を引き受けることにした。 渉は少しずつ、日本語も覚えているらしかった。 暇を見ては誰かが構うから、自然とトークセッションが出来ていた。寝屋川が連れてきたという事は、もしや戦地に居たのだろうか。 ただ、中でもやっぱり一番相手をしているのは牧だった。 歳が近いのも要因だろうが、面倒見が良過ぎる。自分のタスクを放っぽり出してまで、渉とじゃれ回っている。 そのお陰ですっかり残業が伸びているにも関わらず。 「なあ千葉、良いんだぜ俺がサボってたんだから」 夜に山を片すのを手伝っていると、決まって牧は頬杖を突き、にやにやしてそう寄越す。 彼が研修担当な所為もあったが。 入社当初から何やかんや、殆ど同じ時間を過ごしていた。 千葉は答える代わりに、校閲の終わったレポートの束をごっそり相手へ放り投げた。

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